殺すように、愛して。
 よくよく考えてみれば、雪野のことは当然ながら、あれだけ俺に近づいてくる黛のことも、俺はほとんど何も知らないのではないか。兄がいることも、つい最近知ったばかりなのだ。誰かに黛のことを聞かれても、名前と、それから、あまり好印象は持てないであろう変わった性格くらいしか答えられない。俺の持つ黛の情報は、誰もが持っているものとほとんど同じだった。俺だから、俺だけが、知っているようなことは、多分、何もない。

「黛先輩だったら、電話、出るかも。二人、兄弟なら、もう接触してる可能性の方が、高い、気がしてきた」

 集中力が切れ、ふらふらと寄り道をして別のことを考えていた俺の耳に、由良の、一音一音大事に発声するような、ゆっくりとした、ゆったりとした、そんな中でもどことなく緊張感が垣間見えるはっきりとした声が届けられた。スマホ片手に由良を見る。ベッドの側で床に腰を下ろしている彼は、どうかな、とでも言うように小首を傾げていて。でもその表情は不安そうだった。眉尻が下がっている。

 俺は座っていた机の前の椅子の上で膝を抱え小さくなり、ああ、えっと、とむくむくと胸を覆い尽くす申し訳なさに由良から目を逸らした。スマホをギュッと握り締める。その中に、黛に繋がる数字の羅列は取り込まれていなかった。消したわけではない。もともとないのだ。役立たずで足手まといなのは自分なのではないかと陰鬱な空気を身に纏わせながら、由良とは目を合わすことなく視線を下げ、声を絞り出す。ごめん、由良。俺、黛の連絡先、知らない。
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