裏側の恋人たち
『別にお互い合意ならいいんじゃない』

そう送るとすぐに別のスタッフからメッセージが入った。

『オーナーがグラスを割って手に怪我をして出血してます』

ぞわぞわっと身体に冷たいものが走る。
出血するほどの怪我をした?
瑞紀が?

スマホから顔を上げ、地下鉄の電光車内表示で停車駅を確認する。
運良く次の駅で乗り換えをすればその後1駅で『リンフレスカンテ』の最寄り駅だ。

行かなきゃ。
立ち上がり、ドアの前で駅に着くのを待ち構える。





乗り換えした地下鉄を降りて駅から3分。走って店内に飛び込んだ。

「瑞紀は?」

「あ、響さん」

まゆみさんをはじめとするスタッフさんがホッとした顔をして私を招き入れる。

「将希さんとクミちゃんが応急手当てしたんですけど、オーナーがまだ飲むって言い張ってて困っていたんです」

はぁ?と私の眉間にシワが寄る。

「今夜は珍しく飲むピッチが早くて既に相当酔っているから終わりにした方がいいと思うんですけど」

「そんなに飲んだの」

「そうなんですよ。しかも機嫌悪くて。あんなオーナー見るの何年か振りです」

接客のプロのまゆみさんもさすがにオーナー相手では勝手が違うらしく困り顔をしている。

「とにかく響さんじゃないとどうにもなりません。何とかしてください」

まゆみさんに背中を押されて店の奥のテーブル席に案内される。

「私じゃどうにもならないかもよ」

「いいから頼みます。もうオーナー上に連れてって下さい。あれじゃあスタッフが楽しめませんから」

あー、そうだよね。
スタッフの慰労会なのにオーナーが機嫌悪いとか。最悪。

ここの不文律としてスタッフが3階にある瑞紀の自宅に入ることは厳禁とされているらしく、用事がある時でも3階には誰も行けない。
何かあれば電話して瑞紀に2階の事務所に下りてきてもらいやり取りをすると決まっているのだとか。

ということはこのメンバーで瑞紀を3階に連れて行けるのは私だけ。

連れて行かれた奥まったテーブル席には6人の男女が座っていた。

瑞紀の右隣にあのコーディネーターの女性。左隣にここ『リンフレスカンテ』の店長の小沢さん。
古顔のスタッフが2人とあと1人は見たことがない女性だからあのコーディネーターの関係者かも。

私の顔を見た小沢さんはじめ顔見知りのスタッフさんは明らかにホッとした顔をした。
みんなにそんな顔させるなんて何をしたんだか。
瑞紀、オーナー失格じゃないの?

「響さん、待ってましたよ。お願いします」

小沢さんが席を立ち、「オーナー、響さんが来ましたよ」と手酌でバーボンをグラスに注ごうとしている瑞紀の肩を揺らした。

瑞紀の右手には包帯が巻かれていて、傷の様子はわからない。
わからないけど…。

小沢さんが声をかけたのにわざとらしくこっちを見ない瑞紀の後頭部をめがけその辺にあったおしぼりで思い切り叩いた。

ぱこーんといい音がして瑞紀の頭が揺れる。

「いってぇ」
「何やってんのよ。みんなに迷惑かけて」

頭を擦りながらやっと瑞紀が私を見る。

この酔っ払いめ。充血した目、珍しく紅潮した顔に呆れる。
私が見たことないほど酔っているらしい。

「そんなに飲んでまだ飲もうとしてるの。いい加減にしなさい。帰るわよ」

私がそう言うとコーディネーターの女性が形のいい眉をひそめた。
私を見る目がきつい。

「瑞紀」

もう一度呼ぶと瑞紀は焦点が合ってないような酔っぱらい特有の潤んだ目で私の顔をみた。

「響か・・・二次会終わったのか。三次会はどうした」

「そんなものとっくに終わったし、三次会なんて行かないし。さぁ立って。みんなに迷惑だからもう上がりましょ」


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