裏側の恋人たち
「ああ、そうか。そうだな」

瑞紀の眉が八の字に下がり、「ふん」と私に向かって怪我をしていない方の左手を差し出してきた。
立たせろってことか。

「仕方ないわね。ほら立って」

その手を取って立ち上がらせようとすると、彼の右側に座っていたコーディネーターの彼女が瑞紀のその左腕を掴んだ。

「待ってください。瑞紀さんは私が責任を取ってご自宅に送ります」

「え」とその場にいた全員が彼女の顔を見た。

この状況でそんなことが言える彼女ってちょっとすごい。
本気で瑞紀を狙ってる。

瑞紀の手を掴み損ねた私は面白くない。
面白くないけど、瑞紀がそれでいいなら仕方ない。

「そう。だったら早く連れて行くのね。このオーナーのせいでせっかくの慰労会の雰囲気が悪くてみんな楽しめないみたいよ」

「ええ、そうします。さっきから先に上がりましょうって言っていたんです。さあ、瑞紀さん私が送りますから出ましょう」

甘さを含んだ声を出した彼女が先に席を立ち、瑞紀の腰に手をかけて立ち上がらせようとする。

ぎょっとした瑞紀が慌てて腰を引いた。

「いや、ごめんね、石川さん。あなたにそんなことをしてもらうわけには」

「いいえお気になさらず。お部屋まで私がお送りしますわ。ご自宅はここの3階なんですよね」

「ああ、自宅はそこなんだけどーーー悪いけど、いろいろコイツじゃないとダメなんだ。酔ったから先に抜けさせてもらうね。また一緒の仕事があればよろしく。お疲れさまでした」

瑞紀は私に向かって左手を伸ばし、くいっと顎をあげて早くって仕草をした。

はいはい。
瑞紀の左手を両手で掴んで立たせると、瑞紀の身体がぐらりと傾いた。

「やだ、重い。ちゃんと立って」

「もう無理。響が遅いから悪い」

酔っぱらいの言うことは意味がわからん。
わたし、この慰労会に誘われてませんけど。

よいしょっと瑞紀の身体を支える。

「オーナーをよろしくお願いします、あとのことは任せてください」小沢さんが力強く頷いてくれて「オッケー」と笑顔を返した。

瑞紀はというともう半分目を閉じている。
小沢さんの向こう側に見えたコーディネーターの彼女は苦虫を噛み潰したような顔で私を睨んでいるけれど、私にはどうしようもない。

女性が悔しそうにグラスのアルコールを一気に飲み干しがんっとテーブルに置いた。
「彼女も奥さんもいないって言ったくせに」

「響は彼女じゃないよ。奥さんでもない」

どうやらそれが聞こえたらしく、目を閉じたままの瑞紀が口を開いた。

”彼女じゃない”といわれた私の方がビクリとした。
わかってるけど、この場でそんな言い方しなくてもいいのに。

私が来ないってすねてこんなに飲んだんじゃないのって思ったわたしが馬鹿だった。
瑞紀にとって私ってなんなの。

「恋人じゃないなら私とだってーー」そう言いかけた女性。

「あー違うの。コイツは”彼女”なんて軽い存在じゃないんだ。俺にとってはそれ以上。じゃあ石川さん、好きなだけ飲んで帰ってね」

そう言って先に歩き出してしまう。
瑞紀の身体を支えていた私も慌てて歩き出した。

私にもたれ掛かっているから瑞紀の髪が私の頬に当たってくすぐったい。

聞いたことのない私と瑞紀の関係。

”それ以上”?

さっきの言葉はどういう意味?
あの女性を遠ざけるための嘘?それとも身内って意味?

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