裏側の恋人たち


的に向かう姿は黒ヒョウのようだった。
弓を持ち、張り詰めた空気感の中、凜とした立ち姿。
切れそうなほど鋭い目つきが弓道から離れるとぐっと柔らかくなる。
そしてライオンのように揺るぎないリーダーシップ。
女子高生のわたしは大将のそんなところに憧れた。

わたしが『LARGO』のギタリストのタカトが好きなのは、どことなく大将に似ているからだ。
あんなに輝くオーラはないけれど、凜々しい眉とシャープなフェイスライン。
後ろ姿は負けてないと思う。

これはただの憧れで、恋ではない。
芸能人に憧れるのにも似ている。
わたしはここで週に数回夕食をとり、大将とお酒の話をして過ごすだけでちょっと幸せ。

たぶん大将は元奥さんのことを忘れられないんだと思う。
離婚して4年になるのに女性の影は一切ないし、離婚のことも一切口にしない。
元奥さんのことは2,3回しか見たこともないけれど、とても綺麗な人だった。



時が過ぎれば自分を取り巻く環境が変わっていくこともわかっている。
いずれ吉乃もわたしの隣にはいなくなるのかも。結婚をするか、もしくは転勤なんてこともあるかもしれない。
大将の隣にも新しい奥さんが立つ日が来るのかもしれない。

でもきっとわたしはここでこのまま憧れの人を見ながらお酒を飲むのだろう。

勢いで前に進もうと思うような勇気もなければ、それを求める気持ちもない。

曽根田さんに感じたイライラは自分に出来ないことが出来る彼女の勢いと若さへの嫉妬だ。

でも、わたしがもっと若かったら勢いで誰かに気持ちを伝えることが出来るのだろうかと考え、やっぱり無理だと首を横に振った。
わたしにそんな相手が出来るのか。熱い感情を持てるのか。

ないない。

わたしにそんな相手が出来るとは思えない。
元カレのことは好きだったけど、些細な言葉で気持ちが離れる程度の好きだった。
おそらくわたしには恋愛感情というものが欠如している。

愛情は注ぐことが出来ると思う。
例えば、ペット。それと自分で産んだ子ども。
それらは母性だ。

わたしはこのまま自分の居場所がここであればいい。


「何がないって?」

はいよ、と目の前に小鉢が置かれた。
「チキン納豆に大根おろし、梅肉あえだ。2週間も大変だったな。疲労回復に効くっているから食べておけ」

「ありがとうございます。いただきます」

メニューにはない小鉢をもらえるのも後輩特権だ。
美味しいんだよね、これ。
前も疲れてくたくたになっているときに出してもらったっけ。

「で、何がないって?」

「え?何の話ですか」

「いま自分が言ってただろう、ないって」

「そんなこと言いました?すみません、たぶんひとり言です。自覚してなかったんで忘れてください」

どうやら声に出ていたらしい。
こわいこわい、年かな。

憧れの人に自分のできるはずのない恋愛のことを考えてましたなんて言えるはずがない。

「ひとり言に気がつかないほど疲れてるのか。今夜はあんまり飲まないで早く帰れよ」

「えーイヤですよ。2週間で飲んだの3回だけだし。あ、4回か。でもしっかり飲んだのは2回だけですよ。酒蔵行った日と打ち上げの日だけ」

「明日は昼間の勤務じゃないのか?」

「明日は夜中からなんで今日飲んでもゆっくり休めます。だからいいですよね。ここで飲まないと落ち着かないんです。やっとホームに帰ってきたんだから」

仕方のない奴だ、とわたしの頭をポンポンとして大将は戻っていった。

やっぱりここがわたしのホーム。


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