裏側の恋人たち
「・・・一緒に暮らしてるってホントですか」
マグロのお刺身を運んできた桐生くんが周囲の様子を窺いながら小声で聞いてくる。
カウンターは満席でテーブル席に案内されていたから小さい声であれば他のお客さんには聞こえない。
「暮らしているっていうか自分の部屋に帰ると怒られるっていうか」
こちらもコソコソと小声で返す。
あれから超強引な大将によって半同棲みたいな事になっている。
夜勤の後などは自分の部屋に戻ろうと思うのだけど、そうすると彼がすねてしまいその後機嫌をとるのが大変になるので半ば諦めた。
「もうプロポーズしたっていうのもホントって事ですか」
「あー、うん。ちょっと前にね」
「マジかー。じゃあ来週の月曜日に大将が店を正さんに任せて休みたいって言ったのも・・・・・・」
「うん・・・私たちの地元に戻って双方の両親に挨拶をすることになってて。挨拶はきちんとしたいから。私たちの地元はちょっと遠いから挨拶して往復するのに定休日の日曜日だけじゃ足りなくて。ごめんね」
恥ずかしいからどんどん小声になっていく。
「いえ、それはいいんですけど、正さんが大将が丸一日店を人任せにすることなんて今までなかったって驚いてたから」
「そうなの?」
「はい。それに閉店作業も最近は正さんたち従業員に任せて先に帰ることもあるから変わったなってみんなで言っていたんです。やっぱふみかさんの影響かぁ」
うー、恥ずかしさももう限界。
「で、入籍は。式はするんですか」
「うん、それはね、ちょっとまだ・・・」
隠すことではないけれど、今日もカウンターには大将ファンの女性がいるし、まだ他のお客さんにも聞かれたくない。
桐生くんのディープな質問にお互い頭を寄せて更に小声で会話する。
「ふみか」
私たちの上に黒い影がかかったなと思ったら私の名を呼ぶ大将の低い声にはっと顔を上げる。
あ、あれ?
見間違いかな、何だか大将の周りに黒っぽいオーラが見えるような気がすると思ったら桐生くんの頭にげんこつが落とされた。
「痛っ」
「こら、お前ら近付きすぎだろ。離れろ」
明らかにムッとしている大将にとりあえず「ごめん」と言っておく。
「うわ、予想外に独占欲強っ。心狭っ。器小っさ」
桐生くんの暴言フルコンボに思わず目を丸くする。
この子、いい度胸してるなー。
私は思ってても絶対に言えないよ、それ。
「あったり前だ。ふみかは俺の女だぞ。1メートル離れろ」
途端にガシャン、ガタンとあちこちでお皿やコップを倒したような音や椅子をずらすような音があちこちから聞こえてそーっと周りを見回すとお客さんの何人かが目を丸くしてこちらを見ていた。
えーっと。
いいのか、これ。
「た、大将。私これ食べたら帰るね」
居心地が悪くなりそうな雰囲気に早々に撤退を決める。
「ああ、わかった。俺も今日は早く帰るから風呂わかしておいて」
再びガチャンと器が倒れたような音と小さい悲鳴のような声がして私の背筋が凍り付く。悲鳴を上げたいのは私の方だ。
「え、大将とふみかさんってそういう感じだったの?先輩後輩じゃなくて?」
カウンターに座る常連客のおじさまが思わずといったように口を開いた。
見知った顔の人たちも驚いたようにこちらを凝視している。
「俺はもうすぐにでも入籍したいんですけどね。式もそれなりなものをやりたいし。でもまだコイツと意見のすりあわせが終わってないもので具体的には決まってないんですよ。その時は店をスタッフに任せて俺は結婚休暇をしっかり取るつもりなんでよろしくお願いします」
「そうなんだ。めでたいね。うん、そうか、おめでとう」
おじさまがそう言うと他のお客さんたちからパラパラと拍手が起こり、他の常連さんからも「おめでとう」と言われやがてそれはお店全体に広がった。
それからたくさんの人におめでとうと言われて、恥ずかしかったけれど嬉しかった。
大将ファンの女性にも少々不機嫌な顔をされながらも仕方が無いわねって感じでも祝福の言葉を頂いてちょっとホッとした。