燃ゆる想いを 箏の調べに ~あやかし狐の恋の手ほどき~
第六章:思い初める
 第六百八十三回目の定期演奏会を翌日に控
えたその日。右京は飛炎に話があると言って、
朝から琴乃羽に出向いていた。

 昨日のうちにすべての箏や備品を市民会館
に運び込んだお稽古部屋はがらんとしていて、
いまは明るい陽射しだけが畳を照らしている。

 古都里は掃除機をかけ終え、コンセントか
ら差し込みプラグを引っこ抜くと、昨日の様
子を思い出して独り笑いした。

 楽器搬入のために村雨家を訪れた雷光は、
終始幸せオーラを発していて面白かった。

 「俺が『好きだ』って叫んだ瞬間の“かほる”
の顔は、一生忘れらんねぇよなぁ。『雷光さん、
わたしもです』なんて可愛い声で言ってくれ
てよぉ、もう彼女の顔を思い出すだけで飯が
三杯、いや十杯は軽く食えるってもんよ」

 にへらぁ、とだらしなく鼻の下を伸ばしな
がら上り下り同じ話を聞かせてくれる雷光に、
古都里は「良かったですねぇ、ホントに」と
同じ返事を繰り返したものだ。

 けれどその惚気ように、延珠だけはひと際
冷えた眼差しを向けていた。

 「でかい図体してウザいんだけど。コイツ、
刺しちゃっていい?」

 キャベツを刻んでいたらしい包丁を片手に
延珠が腕を組み、雷光を睨みつける。その隣
であわあわしながら延珠を制したのは、やは
り狐月で。

 「ダメです、姉上。そんなことしちゃっ!
血が飛び散って部屋が汚れるじゃないですか。
雷光さんも、いつまでも惚気てないで搬入始
めましょうよ。ライトバンで三回は往復しな
きゃならないんですから」

 「おぅ、そうだったな。そろそろ始めっか」

 やや気になるひと言がセリフに紛れ込んで
いたことに、雷光は気付いたのか、気付かな
かったのか。

 慣れた様子で箏や三味線や備品をせっせと
ベランダ口に纏めたかと思うと、彼らはあろ
うことか両腕に箏を二面ずつ抱え、ベランダ
から、ぴょーん、と飛び降りてしまった。

 「ひいぃっ!!」

 その光景を目の当たりにし、身を縮めなが
ら目を白黒させていた古都里の耳に「大丈夫
だよ」と、のんびりした右京の声が届く。

 「百八十以上も丈がある箏を抱えて階段を
往復するより、こっちの方が早く作業が終わ
るんだ。心配しなくても、二人にとって二階
の高さなんてその辺の塀を飛び降りるのと変
わらないから大丈夫。下は庭で土だしね」

 「でもっ、お箏が折れたり傷ついたりした
ら大変じゃないですか!」

 「えっ?そっちの心配???」

 「りょ、両方ですっ!」

 予想外の古都里の返答に右京はきょとんと
する。が、箏一面の値段が安い車を買えるほ
ど高価なのだと知っていれば、「そうですか」
などと呑気に笑っていられない。確か、演奏
用に買い揃えた箏は甲と裏板のつなぎ目がな
い、最高級玉縁琴だと言っていなかったか?

 うっかりぶつけたりして箏が折れてしまえ
ば、本体を修理することはまず難しいだろう。
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