もうごめん、なんて言わないで


「青山くん」


 彼が席を立ったと同時に急いで駆け寄った。

 さすがに俊介とは呼べなくて、そこまで出かけた名前は飲み込んだ。


「ん?」
「これ、返すね」


 卒業以来、話すのは初めてだ。

 まともに目を合わせられず、突き出したジャケットを持つ手に力が入る。


「いいよ、まだ持ってて。寒いんでしょ」


 俊介は見透かしたように言った。

 邪魔だからと言いながら、あれは不意打ちの優しさだった。意識していたのは私だけだったのか。

 優しい眼差しを向けてきて、顔色ひとつ変えない余裕さには悔しくなる。


「昔から周りの空気読んで自分は我慢しちゃうから」


 ゆっくり近づいてくる俊介が視界を占める。


「……気づくの遅くなってごめん」


 足元の赤い絨毯を見つめて身構えていたら、私の手からジャケットを取り上げてそっと肩にかけてきた。


「久しぶり」


 耳元で囁かれた声にドキッとする。

 甘い低音ボイスは大人になって色気を増した。

 心の準備ができないまま距離が近くなり、彼の息が少しだけ前髪にかかる。


「コマの結婚式もあるんだから風邪ひくなよ?」


 私の頭を軽く撫でて通り過ぎていく。

 顔が熱い。通路のど真ん中で立ち尽くす私を行き交う人が邪魔そうに避けていく。

 でも頭の中はそれどころではなくて、ひとりになってようやく息が吸えたような気がした。


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