二次元の外には、予想外すぎる甘々懐妊が待っていました
 考えてみたら、八島という人間がどこに住んでいて、普段どこを生活圏内にしているのか、香澄は聞いたことがなかった。1度も。
 それどころか、どんな顔をしているのかすら知らない。
 ただ、文字と声だけでつながった存在。
 でも、まるで自分にとっては教祖様のような、救いの人。
 
(一体どういうこと……?)

 香澄が考えていると、流れる景色に違和感を感じた。

(あれ?)

 すでに窓からは八島が指定したドン・●ホー●は見えていた。
 だから、ナビを使うことなく向かうことは可能だった。
 でも、車はさも当然のごとく、ドン・●ホー●から離れてる。

「あの……先生?」
「じゃ、行こうか」
「ドン・●ホー●、あそこですが」
「ううん、香澄の家」
「え!?」

(ドン・●ホー●に行くんじゃなかったのか……!?)

「あ、あの……先輩……じゃなくて……弟……さん?の言う通りにしなくてもいいんですか?」

 八島を弟さん、と言うことに香澄は違和感があった。

「小型犬の言う事なんか、いちいち聞いてたらキリがないでしょう」
「小型……ですか……?」
「キャンキャン、吠えれば自分の言うことをなんでも聞いてくれると思っている、器の小さい男は小型犬で十分でしょう」
「キャンキャン……」

 そんな会話をしていると、また車が止まる。
 赤信号だった。
 このエリアは比較的信号が多いこともあり、運が悪ければなかなか抜けられないと有名だった。

「また赤信号か……」
「そ、そうですね……」

(この人は、イライラしないんだろうか?)

 香澄がふと疑問に思った時だった。
 芹沢涼がその瞬間、香澄の手を再び握った。

「っ!?」
「赤信号も、悪くないよね」
「え?」
「こうして香澄の手を握れるから」
「…………そ、そうですか…………」

(これは、二次元のキャラしか言わないセリフじゃなかったのか……!?)

 似たようなセリフを、香澄は仕事で書いたことがあったが、まさかそれを、よりもよって、自分が真正面から受け止めることになるなんて思わなかった。

「それに、今のうちに入力してもらえるしね」
「入力?」
「ナビ。動いてる間は登録できないからね」
「…………え?」

 芹沢涼は、満面の笑みを香澄に向けながら

「さあ香澄。住所打ち込んで。タッチパネルだから簡単だろう?」
「え?え?」

(これは拒否権なしって、こと!?)

 まだ歩行者の信号は青で、人が目の前を次々通り過ぎている。
 数名が、こちらをチラチラと見ている気がする。
 ある歩行者とは目が合いそうになり、咄嗟に目を伏せてしまった。
 早くここから逃れたい。
 どこでもいいから。
 そのために自分の住所を打ち込むしかないのなら……と、香澄は住所の最初の文字を打ち込もうとした。
 その時、ドンドンドン!と車の扉が激しく叩かれる音がした。
 何事!?と音がした左側の扉を見る。

(うっ……わぁ……美人!?)

 金に近い茶髪を持った、モデルのように綺麗な女の人が険しい顔をしているのが見えた。

(誰だろう……?)

 そう思った時だった。

「香澄!そこから出なさい!」
「えっ!?」

 その綺麗な女の人……のはず……から、聞き慣れた声がした。
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