90日のシンデレラ
 運転席についた北峰は、センターコンソールのドリンクホルダーに部屋で真紘にみせた謎の金属片を滑り込ませた。次に、北峰はフロントガラスに張り付けたタグを剥がす。そして、彼がスタートボタンを押せばエンジンがうなりだした。

 (あの物体、鍵だったんだ!)
 (スマートキーってやつね)
 (あー、そうか! キーをみせて、ドライブにいこうと誘っていたんだ)

 ここでようやく真紘のマンションでの北峰の振る舞いの意味を理解したのだった。

 静かだけど力強いエンジン音と振動が響く。ナビゲーションシステムが起動する。「Welcome Seizi」という文字が現れて、マップに切り替わった。サイドブレーキを解除して、縦列駐車から本線へ、北峰は滑らかにクーペを動かした。

 はじめてみるスマートキーが珍しくて、真紘は車が動き出してもまじまじと正面でなくキーをみてしまう。
 コンソールに収まったそれは、車中の闇の中でもキラキラと上品に輝いていて、さながら魔法の石のよう。
 キーが魔法の石であれば、車も魔法の産物だ。
 ずっと庶民的で実用的な車としか縁がなかった真紘には、いま自分が乗っている車の豪華さにやっと気がついた。
 助手席用のパネルスイッチでエアコンやシートの微調整ができるのは当たり前、体に触れるシートの感触は間違いなく革だ。これらはすべてデフォであれば、「実はとても貴重な体験をしているのでは?」と自覚する。

 (これ、セダンの形だけど、中身はスポーツカーだよね)
 (燃費と荷物を載せることしか考えていないうちの家では、絶対に買うことのないクーペだよ)
 (これで、ドライブって……もしかして、すごく素敵なことなのでは?)

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