ひねくれ御曹司は気高き蝶を慈しみたい


 十四時になると純夏が店に戻ってきた。仕事終わりの粧子を伴い、大通りの角にあるレトロな喫茶店に入る。注文したコーヒーが手元に届いたのを見計らい、粧子は純夏に用件を尋ねた。

「私に何の御用でしょうか?」
「貴女の秘密についてと言えば察してもらえるかしら?」

 粧子はゴクリと生唾を飲み込んだ。レコードから流れるジャズが、この場に流れる沈黙をより強調していく。

「昨日、私達の話を聞いていらしたでしょう?」

 ルージュを引いた唇がニンマリと弧を描く。まるで毒蛾のような女性だ。
 つまり、純夏は粧子が盗み聞きしているとわかっていて灯至を誘惑したということだ。もし灯至が断らなかったら、粧子に情事を見せつけるつもりだったのだろう。

「分かっていると思いますが、彼は貴女に平松モト子の遺産を相続させようと色々と動いているの。彼女が残した遺産は古民家の売却益を含め数十億はくだらない。遺産目当てで結婚するには十分な額だわ。……本当に相続できるのなら、ね?」

 したり顔で微笑む純夏に対し、粧子はギクリと肩を揺らした。舌が張り付いて声が出せない。
 この人は、粧子が灯至に何を隠しているか全て知っている。知った上で、粧子に会いにやってきたのだ。

「大人しそうな顔をしているくせに、随分と卑怯な手を使うのね」

 純夏はテーブルの上に置かれたお冷のコップを手に取り、粧子の頭の上で逆さにした。

「いつまでも妻の座が安泰だなんて思わないことね。貴女さえ現れなければ、灯至の妻は私だった……っ!!」
 
 憎しみのこもった目で粧子を睨みつけ宣戦布告をした純夏は非礼を詫びることはなかった。伝票を手に取るとコーヒーの支払いを済ませ、先に帰って行った。
 粧子は頭から水を滴らせたまま、喫茶店にひとり残された。
 卑怯だと罵られ、水を掛けられても粧子は批難の声を上げることも出来なかった。純夏の言う通りだと思った。
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