ひねくれ御曹司は気高き蝶を慈しみたい
「ほら、腕を出せ」
粧子は無言でコートの袖をまくり右腕を出した。入浴や摩擦でインクが薄くなっていたところに電話番号が上書きされていく。
わざわざ書いてもらわなくても、もう覚えてしまったのに……。
会うたびに帰り際に電話番号を書いてもらうのが、お約束のようになってしまった。スマホにも登録済みだし既にメモは不要だけれど、粧子にとって手首に刻まれた電話番号はお守りのようなものになりつつある。
冬でよかった。夏ならふとした拍子に誰かに見られて気まずい思いをしていた。
ドレスが決まったら次は指輪だ。豪奢な婚約指輪とお揃いの結婚指輪を槙島家御用達のジュエリーショップでオーダーした。
大安吉日には結納も行われ、滞りなく終わった。今度は誰の邪魔も入らなかった。
粧子は仕事の合間を縫って、引っ越しの準備も進めていた。新居は槙島家の所有する駅前の複合ビル、槙島スカイタワーの最上階だ。一足早く灯至は引っ越しを終えており、結婚式が終わり次第粧子も移り住むことになっている。
目まぐるしく毎日が過ぎ、季節は冬から春へと変わっていった。
このまま何事もなく終われば良いのだけれど……。
結婚が決まりあちこちから祝福の言葉をもらう粧子を泰虎は遠巻きに眺めていた。
時折、何かを訴えかけるような視線を感じてはいたが、結婚式の準備に忙殺されていた粧子には義兄を気にかける余裕もなかった。
そして、泰虎の考案した春限定の練り切りが店頭に並び始めた頃、事件は起こる。