あの日の誓い
「部長から、妻とは家庭内別居状態だと聞いたから付き合ったなんて、いいわけが通用しないことはわかっています。本当に申しわけございませんっ!」

 私は、頭を深く下げたままきちんと謝罪したハナを、複雑な心境で眺める。

 私自身もハナの不倫を知ったときに注意せず、そのまま見過ごした罪があるので、一緒に謝ろうかと考えた。しかしそれだと、ハナの謝罪が軽く見られる恐れがあると思い、あえて座り続ける。

「夫は……輝明さんは、そんなことを言ったなんて」

 見るからに悲壮な表情の奥様に、傷つけることを言いたくなかった。だけど詳しく説明すると約束していたゆえに、頭を下げ続けるハナの横で、淡々と話を続ける。

「私の職場に、不貞行為をおこなってた同僚がいたんです。同僚とは仲が良かったこともあって話を聞いてみると、同僚の不倫相手がご主人と同じようなことを言って、嘘をついていたのを耳にしました。それで津久野さんの家庭内別居が本当かどうかを確かめるために、病院で奥様に近づいたんです」

 言いながら、テーブルの上に例の書類を置いた。封筒に入ったままなので、中身が見られないそれを、奥様はじっと見つめる。

 ハナは少しだけ頭を上げ、小さな声を発した。

「部長は私との結婚を視野に入れて、式場をわざわざ探して一緒に行くことを促したり、本当に優しかったんです。でも半年付き合っていても、名前で呼ぶことを禁じられました」

 肩を落とし、突っ立ったままのハナの両手が、ぎゅっと握りしめられる。付き合っているのなら、彼の名前を呼びたかっただろうに、それを我慢した状態で不倫を続けるエネルギーに、ハナの愛の深さを知った。

「そうですか。あの人に禁じられたから、斎藤さんは夫を役職で呼んでいたんですね」

 奥様は悲しげに苦笑をもらしながら、ハナの顔をじっと眺める。

「私の口から、部長の名前がなにかの拍子で出たりしたら、部署にいる皆に付き合ってることがバレるかもしれない。そうなったら、彼の立場は危うくなるので」

 理由を知った奥様は、悲壮感をより一層露わにし、大きなため息をついた。

「輝明さんってば、変なところにしっかりしてるのね。家では、電子レンジすら使えない人だというのに」

「電子レンジが使えない?」

 私がオウム返しをしたら、奥様は眉をしかめて説明する。

「不妊治療の薬の副作用で、体調が悪い日があったの。それでも頑張って夕飯を作り、テーブルの上に並べておいたわ。仕事から帰ってきた夫は、それを温めろって言ったんですけど、それすらできないくらいに具合が悪くて、自分でやってって頼んだのに……」

 ここで一旦言葉を切り、顔を俯かせる。立ったままのハナは頭をしっかり上げ、困った様相で話しかけた。

「大丈夫ですか?」

「ごめんなさいね。思い出したら、つらくなってしまって。あの、座ってください。そのほうが、お互い話がしやすいでしょうから」

 奥様の気遣いで、私の隣に腰かけることのできたハナにアイコンタクトを送ると、小さく頷いてから前を向く。

「部長はきっと、奥様を頼りにしてるんでしょうね」

「頼りなんて、そんなことないわ。便利なお手伝いさんくらいにしか、思っていないんじゃないかしら。電子レンジで夕飯を温める簡単な作業すら『レンジの使い方がわからないし、今は忙しくてできない』のひとことを言いながら、スマホをいじって、私の体調をいたわることをしない、冷たい人なんです。そのくせ、自分とのこどもを欲しがったりして、わけがわからない……」
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