霊感御曹司と結婚する方法

志しを継ぐもの

 吉田さんの結婚披露宴には、私は村岡さんと遠城さんと共に出席した。

 初めて見た吉田さんのお嫁さんは、派手でも地味でもなく、小柄でごく普通な印象の可愛らしい人だった。

 披露宴は格式高いホテルで行われ、両家の親族は家柄に守られた正統派なイメージのオーラを漂わせていた。

 出席者の中にはエムテイの役員と管理職の社員も来ていた。お嫁さんのご実家に近しい地元の名士さんたちも来ていたし、なかなかこんな豪華な披露宴はないのではないかと思った。

 今日の余興の目玉は、遠城さんのピアノ演奏だ。遠城さんの正装姿はとても素敵だ。言ったら怒られるかもしれないが、どこからどうみても男前だ。そして、立派なグランドピアノの前に立って堂々と挨拶をする姿は本物のピアニストだ。

「僕が敬愛してやまないショパンの、そしてあらゆる曲の中でこれ以上ないくらい大好きな、ショパンの舟歌を演奏します。吉田くんをはじめ、僕がお世話になっている全ての人たちに向けて心をこめて演奏します」

 彼女の演奏の前に、村岡さんが私に耳打ちして言った。

「遠城さんは、本当は音大のピアノ科をめざしていたらしい」

「そうなんですか?」

「ご両親を事故で亡くされて、その道は諦めざるをえなかったらしい」

 ちょっと前の話だ。

 吉田さんの披露宴の招待状が会社に届いた時、遠城さんがはしゃいで言っていた。

「吉田くんの披露宴でピアノを弾かせてくれるらしいの。大人になって大勢の人前で弾くことなんてほとんどないことだから、とても楽しみにしているし、猛練習よ。実はね、私の中では亡くなった敦司専務や向井くんにも向けて演奏するつもり。鎮魂の曲よ」

 そして、遠城さんに演奏する曲を事前に教えてもらっていた。

 ショパンの舟歌は、彼の晩年の傑作で、長い上、並大抵の腕前では演奏できない曲だ。

 どこまでも美しく繊細な旋律が続いて、舟歌だから始終キラキラと水面が輝く情景を表現している。でもその旋律に込められる思いは切なく、そして幻のごとく儚く、複雑だ。

 これは後日のことだが、遠城さんにピアニストになりたかった夢のことを聞いてみた。

「いやだ、村岡くんに聞いたの?」

 遠城さんは遠い目をして言った。

「高校生のときに、突然、両親が事故で死んでから、長いことピアノが弾けなくなったの。精神的に。手が動かなくなったというか、ちっとも曲が頭に入らなくなっちゃって。それはもう、縁がなかったって事よね。今は、あの頃みたいに、技術的には上手く弾けないけど、無心に曲に向かうことができるようになった」
 
 遠城さんも哀しみを知る人だ。だから、彼女の演奏はこんなにも人のこころをうつ。

 遠城さんが演奏する舟歌の旋律に浮かぶ河の向こう岸には、本当に、向井さんも村岡さんのお兄さんも、そして遠城さんのご両親もおられるかもしれないと思った。

 演奏が終わると、当然会場は拍手喝采だ。いつまでも鳴り止まない。吉田さんのお嫁さんは、すっかり感動してお化粧が崩れるくらい泣いてしまっている。

 拍手を受ける遠城さんはキラキラと目を輝かせてとても美しかった。

 続いて、村岡さんの祝辞だ。

「あんな演奏のあとじゃ、俺、もう何を言っても一緒だよな」

 村岡さんは、苦笑いして席を立った。
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