大正浪漫 斜陽のくちづけ
 気持ちを切り替えるためにも、家具の位置を変えたり、足りないものを買い足したりして引っ越してきた頃より大分住みやすくなった。
 少しは喜んでもらえるだろうか。

 仕上げに庭で摘んだ花をあちこちに生けると、殺風景だった部屋が華やぎ、心も少しは落ちついた。

 一仕事を終えて実家から送った荷物の整理をしていると、ずっと開けていない木箱が出てきた。
 処分することもできず、蔵の奥に隠しておいたものだ。鍵をかけたままの思い出すのも辛い記憶。

 真一郎から貰った手紙が入っている。
 先ほど市村に言われた言葉が蘇る。もう過去と決別すべき時が来たのだと思う。
 凛子は寝室にそれを持っていき、一人で過去と向き合っていた。懐かしい筆跡。
 九条の家を出ていったすぐあとにくれたものだ。

『凛ちゃん、元気にしていますか。さみしい思いはしていませんか』

 気の優しさが文字にも現れている。彼に焦がれた少女時代の思い出が甦る。
 凛子も真一郎も子供だった。周りのことがまるで見えていなかったのだろう。

 あの頃はただ真摯な想いさえあれば、幸せになれるのだと信じていた。
 決して結ばれることのない想い。だからこそ儚く美しい恋だったのだろう。
 なんて危うく、無垢な夢を見ていたことだろう。自分たちは似すぎていたのだ。だからこそ惹かれ合い、そして破滅的な別れが訪れた。

 少しだけ大人になった今ならば、理解できる。
 初めからうまくいくはずがなかったのだ。歯車は元々噛み合ってはいなかった。
 何年経っても彼を死に追いやってしまったことへの罪悪感から逃れることはできないだろう。

 ──今度お寺でお焚き上げしてもらおう。もう過去のことは忘れなくては。
 そう決めた。生きている以上前に進まなければいけない。ここまで来るのに三年かかった。
 今、ようやく過去と決別する勇気が出た。


「凛子」

 急に声をかけられ、驚いて振り向くと帰宅した夫が立っていた。
 いつもなら、帰ってくる音で気づいて玄関まで迎えに出るというのに、夢中で手紙を読んでいて、部屋に入ってきた夫に気づかなかった。

「お帰りなさい。今日は遅いと思って……」

 慌てて手紙を木箱へとしまうが、遅かったようだ。

「まだ忘れられないのか」
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