禁断×契約×偽装×策略
「井森《いもり》克之《かつゆき》という人物をご存じですか?」
「井森? 知らんな」
「そうですか。ではこの男を買収したのは伯父さんということですね。佐上の者が、と言っていたので、てっきりお祖父さんかと思ったのですが」

 その瞬間、佐上のこめかみが一瞬ピクリと動いたが、表情が変わることはなかった。

「この男は今月いっぱいで退職となりました。経緯を洗いざらい話してくれたので、警察に届けることはやめましたが、二度と宇條に近づかないと誓約書を書いてもらいました。次に、来年就活の拓斗《たくと》君の採用もありません。こちらも書類選考で落とすように言っています」

 拓斗とは貴哉のいろこの名だった。採用しないと言われ、こちらはさすがに無表情が崩れた。

「なぜ拓斗が受ける前から落とされないといけないんだ。井森という男のことといい、いったいどういう了見だ」
「どういうもこういうも、井森は俺の名前で会社の金を使い込んだ挙げ句、横領まで働いたんですから当然です。その金がどこに消えたのかも俺は知っています」

 貴哉は言いつつ脇に置いた鞄から茶封筒を取り出し、テーブルに置いた。

「飯塚先生がたった数日でこの書類を精査してくださいました」
「飯塚? 飯塚が調べたのか!?」
「ええ。優秀な弁護士先生で本当に助かりました」

 信じられないという顔をしている佐上に、貴哉はにこりと笑った。

「井森が利用した店へ、利用者の確認までくださいました。俺の名前で井森の写真を見せたら、みな、そうだと証言しました。特にいかがわしい店の多くがカメラを設置していますからね、来店者の顔がばっちり映っています」

「…………」

「それから、下請け会社にキックバックさせて懐に入れたり、架空経費を立てたり、これは犯罪ですから警察に突きだすべき案件です。まぁ、おとなしく白状し、誓約書を書いたのでいいでしょう。次に拓斗君ですが、レベルが達していないのもあるものの、いろいろ女性問題を抱えているようなので、当社には不適切と判断しました。うちに入れると高をくくってまともに学校に行っていないようだから、今から遊んだ分を取り返すのは大変でしょうけどね」

「…………」

 ここで貴哉は一服と言わんばかりにコーヒーカップを口につけた。佐上も京香も黙り込み、場はシンと静まり返っていて周囲のざわめきがうるさいほどだ。貴哉は二つ目の封筒を鞄から取り出した。が、自分の前に置いて渡そうとはしなかった。

「伯父さん関連の話は以上で、これからはこちら宇條家の話をさせてもらいます。病室で姿を見たと思いますが、俺の横にいたのが父さんの隠し子の遠山雪乃さんです。母親の綾子さんが先月亡くなったので、屋敷に呼びよせることになった娘です」

「……実康君の気が知れん。愛人の子を住まわせるとは。京香がどういう気持ちでいるのか考えたのか? 失礼極まりないではないか」
「確かに血のつながらない子を家に住まわせるのはひどい話ですね。俺も同感です。母さんもそうだろ?」

 貴哉は体を捻って京香を正面から見るような体勢を取り、それまで浮かべていた笑みを消してそう言った。京香は返事をせず、顔だけ貴哉に向けている。だが、視線を彷徨わせるようにして顔を背けた。

「さて、その愛人の子の雪乃ですが、父さんの子に間違いはありません。宇條グループは同族会社なので、雪乃には然るべきポジションについてもらおうと思っています。で、その然るべきポジションなんですが、父さんと俺との意見は分かれています。どうすべきか、それを今日、お祖父さんからアドバイスしてもらおうと思って、ここに来ました」

 貴哉からアドバイスをしてもらいたいと言われて佐上の顔がとたんによくなった。
 が。

「父の意向は先日の通りです。父は同族企業からの脱却を含め、優秀な者が経営者であるべきと考えています。だから血のつながった娘である雪乃に継がせたいという気持ちは大きくありません」

 ふと、佐上が妙な顔をした。京香は視線を逸らしたままだ。

「だが俺は、宇條家の血を受け継ぐ者が会社を継ぐべきだと考えています」
「それはそうだろう」

「同じ意見ですね、安心しました。そこでです。であれば、俺に宇條を継ぐ資格はありません。俺は宇條実康の血は引いてはおらず、宇條京香と浅見亮一の息子だからです」
「浅見?」

「ええ。宇條実康の親友であり、かつて宇條家の顧問弁護士だった男です」
「どういうことだ」
「どうもこうも。母さんが不貞を働いて俺を産んだんですよ。その証拠が――」 

 茶封筒を手に取り、佐上に突きだした。

「これです。俺と父さん、宇條実康とともに調べたDNA鑑定の結果です」

 佐上は茶封筒をひったくるようにして奪い、焦ったように中のファイルを取り出した。そして内容を確認すると、愕然となって目を見開き、ゆっくりと視線を京香に向けた。

「京香」
「…………」
「京香、お前は――」

 京香は鞄からメンソールのタバコを取り出して火をつけようとする。が、その手は小刻みに震えていてうまくライターを使えなかった。

「説明しなさい」
「……浅見さんに無理やり」
「遺書があるんだ」

 貴哉が言葉を遮った。

「え? 遺書?」

 京香が驚いたように貴哉を見つめる。

「父さんや俺が真実を知っているのは、浅見弁護士が詳細に事情を書き記した遺書をのこしていたからだ。母さんにハメられて、関係を持っただけじゃなく、体外受精で俺を産んだことを。母さんが通っていた不妊専門の婦人科にも確認に行ってきたよ。なかなか答えてくれなかったけど、伴侶とは会うことなく処置した、いきなり現れて、金を積まれて頼み込まれたって。こっちは全部証拠固めをして今日に臨んでいるんだ。言い逃れはできない」

 しばし冷たい沈黙が落ちた。

「話はもう一つあります。お祖父さんと伯父さんが手掛けている会社の件です。長年いろいろされているようで、中には宇條グループの名を使っているものもあります。そのことでも申し上げたい件がいくつかあります」

 貴哉の抑揚のない冷たい口調が佐上と京香により深い沈黙を与えた。

「社名全部を読み上げたいのですが、時間の無駄なのであとでこのリストを読んで確認してください。休眠ゾンビ会社含め十八社ある。その約半分は宇條グループの関係会社を装っている。さらにその中には、詐欺まがいのやり方で取引会社から金を得ているものがある。これを国税庁や警視庁に相談したらどういうことになるか、説明しなくてもおわかりのはずだ。今まで黙っていたのは、父さんの温情です」

 佐上がフンと鼻を鳴らした。

「なにを根拠にそんなことを言うんだ。事と次第によっては、お前こそお縄発言だぞ?」
「俺は口先だけの脅しなんて怖がらないタチなんですよ。この十八社、すべて信頼できる会社に頼んで調べてもらった」
「信頼できる会社?」
「ええ。斉木キャピタルです」

 その瞬間、京香がハッと息をのんだ。

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