禁断×契約×偽装×策略
「なんとか言ったらどうなんだ!」

「このような内部告発資料が送られてきた以上、無視はできません。金は確かに流れている。ご自身の疑いを晴らすために戦われるのもけっこうですが、もっと楽な方法で回避できるのですから、そうなさったほうがいい、と助言申し上げているのです」

「もっと楽な方法?」

「土曜の十時、帝王ホテルに行かれるのがよいでしょう。今のあなた様には、残念ながら太刀打ちできる相手ではありません。今は従っておくのが得策です」

 貴哉は飯塚を睨みつけ、それから大きく椅子に凭れかかった。

「てっきり宇條グループの筆頭顧問になりたいんだと思っていた」
「…………」

「それとも、目的は宇條家の秘密で、それを脅迫の材料にしてがっぽり金をせしめるつもりか? できないだろ、弁護士会に圧力をかけて、あんたの弁護士人生を葬るだけだ。もちろん、クソじじいがな。じゃあ、クソじじいには本心を隠して取り入ったまま牛耳るか。クソじじいと同様に、雪乃は邪魔だよな。俺が総帥になったら安泰か? それもない。いつ、俺が腕利きの弁護士を見つけて連れてくるかわからないんだから。なぜなら、俺は二十七で、クソじじいは八十三だ」

 飯塚はほんの少し視線を下げた。が、すぐに貴哉に戻す。二人の視線がまたぶつかった。

「なにか誤解があるようですが、私はどちらの味方でもありません。宇條グループの顧問弁護士の一人であり、宇條実康様の代理人にすぎません。昨日は奥様に命じられてお嬢様を指示されたホテルにお連れしただけです」

「この報告書は?」
「……同じです」
「認めたのか?」
「いえ」

 貴哉は資料を封筒に仕舞い、ポイっと机の上に放り投げた。

「伯父が早期退職して宇條グループのどこかに入りたいとか言っているらしいが、俺を脅して伯父をグループに入れ、出世させて牛耳ろうとしているのだろう。そんなことはさせない。クソじじいがなにを企もうが、あの老害にはもうそれほどの時間はない。それは社長も同じだ。いつまで元気にいられるか、わからない。飯塚先生、クソじじいの下僕としてこき使われるより、俺に恩を売って幅利かせるほうが得と思わないか?」

「…………」
「筆頭顧問弁護士の地位は約束してやる」

 飯塚の冷たい顔がほんのわずか動いた。

「それに、斉木も気づいた。あっちもクソ女に従うことはないだろう。佐上の思うようにはさせない。その資料、先生の任せる」

 飯塚はわずかな沈黙ののち、封筒を手に取った。

「勝つからな」

 貴哉の最後の言葉に、飯塚は軽く礼をして専務室から退出していった。身を翻す際、飯塚の口角が上がっていたように見えたのは気のせいではないだろう。貴哉は思わず舌打ちしていた。

(俺が横領だって!? バカが。そんな手に落ちるわけがないだろう。どいつもこいつも曲者ばかりだ。だが、佐上の人間をグループに入れることは絶対に許さない)

 貴哉はスマートフォンを取り出し、電話帳を開いてコールした。

「もしもし、昨日の返事をしたい」
『ずいぶん早いね。一週間後じゃなかったかな』
「事情が変わって急いでいる。今夜、会えないか?」
『これもまた早いな。八時からなら大丈夫だよ。出向こうか?』

 貴哉は顔を顰めた。来る気などさらさらないくせに。今このタイミングで斉木が出向いてきことを、万が一、佐上の耳に入ったらマズいなどわかって言っている。

「いや、俺がそっちに行く。では」

 貴哉は通話を切り、スマートフォンを机の上に置いた。そしてジッと睨みつける。胸中に渦巻くのは怒りばかりだが、自分の脇が甘かったことに他ならない。チッと舌打ちし、背もたれにもたれかかった。今度は天井に設置されている照明を睨む。

(父さんの決断を待ってからだと思っていた。だけど、現実は人の都合なんて考慮しないんだな。あのクソじじいよりも先に父さんが倒れた。俺が相手だと、若造だと舐めて大っぴらに乗っ取りにかかってくるだろう。こっちは真実を知った日から、この時のためにあんたの周辺を徹底して調べてきた。クソじじい、あんたは政財界に顔が利くのかもしれないが、あんたの息子はまったくこわくない。あんたは子どもの教育には失敗したんだ。それを思い知らせてやる)


 帝王ホテルのロビーにあるラウンジカフェにいる佐上と京香は、時間になっても現れない貴哉にイライラを募らせていた。

「なにをやっとるんだ」
「九時には屋敷は出たとのことだから、もうすぐ来るでしょう。渋滞しているのよ、きっと」
「遅刻せんように電車で来るものだろうが」

 京香は首をすくめた。電車で来るもの――そう言っている張本人だってタクシーで来たきせに。

 とはいえ、京香としても貴哉が来ないのは困るところだ。おとなしく貴哉が、こちらの用意した都合のいいご令嬢と結婚して片づいてほしいのだ。

 実康に愛人と娘がいることはとうの昔から知っている。地位、金、権力、これらを手にした男の多くが、女を囲うことに京香は疑問など持っていない。現に隣にいる父だっているのだ。いい年をして、と思うが、金づるを手放したくない女が媚びるのは当然だろうし、とっくに愛情など失っている、いや、もしかしたら最初から持ち合わせていなかったかもしれない母も、口うるさく気難しい夫が愛人に気を向けているほうが静かでいいと考えていることも理解している。

 だから実康が愛人を住まわせている家に通っても気にならなかった。だがしかし、その愛人が死んだことにより、隠し子を屋敷に連れてきたことは予想外だった。そしてその娘に、貴哉が入れ込んでいることも。

 女として囲う――こう言われた時は心臓が潰れる思いだった。まさか、と疑ったが、二人とも兄妹である意識をしっかり持っているので安堵した。もし、貴哉が実康と血がつながっていないことを知っていて、雪乃と結婚したいと言いだしたら自分の不貞が暴かれてしまう。それだけは困る。だから急ぎ、二人に縁談の用意をした。貴哉は年齢的になんら問題はないから、佐上に都合のいい娘を用意するよう父に頼み、縁談はまだ早い雪乃には、貴哉との関係上断りにくい斉木に目をつけた。斉木であれば、雪乃ではなく貴哉が断ることを躊躇するだろうから。

 京香はティーカップのハンドルに手をかけようとして手を止めた。足音が近づいてきて京香の横に立った。

「遅いじゃないか。まったく。さて、では先方との――おい、なにを座っている」

 貴哉が京香の隣に座ったことに佐上が怒るが、当の貴哉はどこ吹く風で、手を挙げてスタッフを呼び、コーヒーを注文した。

「これから先方と約束している店に移動するのだぞ」
「来ませんよ、相坂《あいさか》さんは」
「なに?」
「昨夜、俺が電話をして、見合いを断りましたから」
「なんだと!?」
「大きな声を出すのはみっともないですよ、お祖父さん」

 指摘された佐上は目を瞠り、悔しげに口を閉じる。佐上の目には明確な怒りがあるものの、これも貴哉は気にならないらしくまったくの無視だ。そこにコーヒーが運ばれてきたので、貴哉はそれを口にしてから続けた。

「相坂さんのほうは快く了解してくれたので気にしなくて大丈夫です。むしろ、早く話してもらえてよかったとおっしゃっていました」
「なにを言っているのか、さっぱりわからん」

「順を追って説明するので慌てることはありません。本来この話は、おそらくもっと後になってからなされたであろうし、そもそもお祖父さんの耳に入ることもなかったと思います。ですが、父さんが倒れて、正直、今後どうなるのかわからない。だから、今、手を打つことにしました」

 ゆっくりと貴哉の言葉が物騒になっていく。佐上はよくわからないという顔をしているが、隣の京香の目には動揺が浮かび始めていた。
< 25 / 27 >

この作品をシェア

pagetop