※エリート上司が溺愛する〈架空の〉妻は私です。


 異変は午後の業務を始めて一時間ほどが経った頃に起きた。紗良は木藤から頼まれた先月の売上データをまとめていたところだった。これがなかなか曲者で、金額の割には件数が多くて苦戦していたところでお呼びがかかる。

「三船さん。あと、吉住。ちょっとこっちへ」

 月城からブースに来いと手招きされる。フロア内は基本的には誰もが自由に使えるオープンスペースになっているが、秘匿性の高い打ち合わせや個人面談に使うための個室ブースもある。
 月城は空いているブースに紗良と吉住を呼びつけると、使用中の札を入口に掲げ鍵を閉めた。

「なんでしょうか?」
「失礼を承知で聞くんだけど、三船さん……その……先週の送別会のあと高遠課長と何かあった?」
「どういう意味ですか?」

 紗良は眉を顰め月城に聞き返した。
 
「俺もよくわかんないんだけど、三船さんと高遠課長が不倫してるって社内のあちこちで噂になってるんだ」
「……え?」

 それは青天の霹靂だった。
 
 月城の話では紗良と静流が不倫をしているという噂は光の矢のような速度で今や会社中に広まっているそうだ。

「あの……不倫って一体どういうことなんですか?」
「や、俺もさっき聞いたところだから経緯はよくわかんなくて……。あの日はタクシーで高遠課長と吉住に家まで送ってもらったんだよね?」

 紗良は小さく頷いた。記憶はないが、二人にお世話してもらったことは確かだと思う。

「吉住?どうした?」

 
 月城から名前を呼ばれた吉住の顔は真っ青だった。いつもの軽口がなりを潜め、目線が合わない。
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