大江戸ガーディアンズ

〜其の参〜


「——そうか、おめぇの方でも目立った手掛かりはねえってか……」

畳が敷き詰められた座敷の内でどかりと胡座(あぐら)をかく武家の男から、深いため息が聞こえてきた。

「へぇ、押し込みのあった見世で働く(もん)にも訊いてみやしたが、見世から相当云われてっらしく口が(かて)ぇもんで、どうにもこうにも……」

宵闇に紛れて庭先に(ひざまず)いていると、男から座敷が見渡せる縁側に招じられた。
ゆえに今は板張りの床にきちっと正座している与太が、ぺこりと頭を下げた。

あれから、久喜萬字屋以外の大見世——特に「髪切り」に()られた松葉屋や扇屋にも幾度となく顔を出し、なにか手掛かりとなる話を聞こうとしたが、男衆(おとこしゅ)にしても下働きのおなご(・・・)にしても、頑として口を割らなかった。


「けっ、起っきゃがれってんだ。
てめぇらで賊を引っ()らえるっ気でもいるってぇ寸法かい」

男は左手でぐっと脇息を引き寄せながら、吐き捨てるがごとく云った。


だれが聞いても町家の物云いであるが、与太よりもひとつふたつばかり歳上のその男——松波(まつなみ) 兵馬(ひょうま)は、正真正銘武家の出だ。

しかも、父親は松波 多聞(たもん)と云う南町奉行所・同心支配役——つまり、筆頭与力である。

さらに先達(せんだっ)て、その父が南町奉行の下知(げじ)により筆頭与力たちを束ねる「南町奉行所・年番方与力」に任ぜられた。
南北それぞれ一名のみ配された年番方は、奉行を補佐するだけでなく奉行所全体に目を配って取り計らう、総元締めのようなものだ。

若かりし頃、世間から「浮世絵与力」と(うた)われた父の見目かたちそのままに生を受けた嫡男・兵馬は、行く行くは父親の跡目を継ぐ(さだ)めである。

ゆえに、今は奉行所で「見習い与力」として「修行」の日々だった。


「……まぁ、こればっかはしょうがあるめえ。
されど、まさか一番入り(づれ)ぇと思われる大見世の二階が、そないに『手薄』だったとはな。
引き続き、なんとか手掛かりを探しとくれ」

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