大江戸ガーディアンズ

兵馬たちが生まれた頃の話である。

その当時、江戸では大店(おおだな)ばかりを狙った押し込み強盗が横行していた。

にもかかわらず、南北の奉行所はなかなか咎人(とがにん)を引っ捕えることができずにいたため、町家の衆の奉行所(おかみ)を見る目は日を追うごとに険しくなっていった。

特に、大店の旦那衆が「次はうちではあるまいな」と震え上がっていた。


そんなある夜、また大店が襲われた。

淡路(あわじ)屋』と云う廻船問屋に野盗たちが押し入り、大金をごっそり奪って持ち逃げしていったのだ。

一向に捕縛できない(どころ)か、新たにしてやられてしまった奉行所(おかみ)に、町家の目は険しくなる処かすっかり呆れ果ててしまっていた。

そんな「針の(むしろ)」の中、とうとう「北町」の方の奉行所が動いた。

配下の隠密廻り同心に命じ、町家の者として市中に潜ませることにしたのだ。
いわゆる「(おとり)」である。

歌舞伎役者風の遊び人の姿に身を変装(やつ)した隠密同心は、淡路屋の主人とは歳の離れた後妻(のちぞえ)と「(ねんご)ろ」になることで「尻尾」を掴んだのだが——

なんと、店の中から(かんぬき)を外して盗人たちの手引きしたのが、()の後妻だったのだ。

淡路屋の主人である夫が、吉原の遊女に入れあげたために我が身の立場が揺らいだのが「悪事」に手を染める切欠(きっかけ)であったらしい。

後妻は、元は云えば水茶屋とは(うた)っていても酒も出すような店の酌婦だった。

曲がりなりにも「淡路屋のお内儀(かみ)」と呼ばれるようになり、やれ芝居だの新しい着物だのと云う「贅沢」な暮らしぶりがすっかり身に付いてしまっていた。
今さら「酌婦」には到底戻れなかった。


そうして北町奉行所は、盗みに関わった者たちを無事一網打尽にすることができた。

奉行所の面目は保たれた。

大手柄を挙げた「北町」に、町家の連中は手のひらを返したかのごとく、やんやの喝采であったそうだ。


その後、捕縛されたのち淡路屋から即座に離縁された女は、盗賊一味として死罪となり三日間(さら)し首にされた、と記録には残っている。

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