隣の家の渡邊君はイケメン俳優やってます。

一月二日

「はい、咲歩ちゃん」

 ソファに座りながら、入れてくれたコーヒーのカップを受けとってお礼を言う。

「ありがと」
「うん」

 渡した董也自身は犬の絵の、私のお気に入りカップを持っている。リビングダイニングのソファの前のTVには再放送のドラマが流れていた。正月の午後ってこんな感じだよね、董也が余分だけど。

「で、何であんたウチに来てんの?正月ニ日から」

 横に座る董也を見ないままコーヒーを啜ると言った。

「だって家だと落ち着いて仕事できないんだもん」

 だからって私の家なの?って思うけど、しょうがないか。

「だったら早くやったら? テレビ見てないで」
「うーん、いいじゃん。これも仕事の内だしさ」

 そのドラマは昨年、董也が出たものだった。ヒロインの恋人役で……結局振られるのかな?

「ねえ、これあんた振られるんだっけ?」
「そうだよ」
「ふーん」
「え、もしかして咲歩ちゃん見てない?」
「見てない」
「見てよ」
「やだよ、テレビ見るの好きじゃないもん。ゲームしてた方がいい」

 それに、何だか董也をテレビで見るのは居心地悪い。

「冷たいなあ、相変わらず」

 そう言って彼は笑う。

「それに董也の役って当て馬ばっかりじゃない」
「ばっかりって事はないけどさ、……この役はそうだね」

 ちょうど画面ではヒロインが董也の手を振り切って走り出したところだった。いい人だけど振られる、そんな役ばっかり見る気がするなあ。

「でも、この役はさ、ほぼ主演男優と同じ熱量で撮ってもらえたから。明日スペシャル版やるから見てよ」
「……気が向いたらね」

 また董也はくしゃっと笑うと、よろしくと言った。
 私はコーヒーをすする。インスタントのうっすいやつ、だけど美味しい。私の好みを把握されているのは喜ぶべきか否か。楽なのはいいけどね。

 と、いきなり董也が私の後頭部、#頸__うなじ__#の辺りを触った。ゾクっとした。ヘンな声が出そうになったじゃない。

「何よ、気持ち悪い」

 三人がけソファの端に思わず座り直す。反対の端に座る董也と間が空いた。

「ごめん、髪切ったんだなあ、って思って。いつ切ったの?」
「ちょっと前」
「咲歩ちゃんのショート初めて見るなあ。ちょっと染めたんだね」
「うん、そうね」
「ストレートの長い黒髪のイメージが強いから、結構雰囲気変わるね」
「そう?」
「うん、似合うよ」
「ありがと」

 董也は微笑みを浮かべたまま自分のコーヒーを飲む。

「で、」

 コトンとテーブルにカップを置くと続けた。

「何があったの?」
「……何がって何が」
「何か」

 ああ、イヤ。こいつのこーゆー妙に聡いとこ、本当にイヤだわ。

「別に髪なんて普通に切るでしょ」
「うん、そうだね。で?」

 私は黙って無視してコーヒーを飲む。董也もそれを見て諦めたのかテレビ画面を見出した。

 私はその横顔を盗み見る。華奢すぎず、でも繊細さを感じさせる顔立ちは、横からの方が強調される。髪なんてはねてるのに気にならないのは、顔面強いヤツの特権かな。
 彼はかっこかわいい、らしい。ファンによると。知らんけど。

「……結婚、本当にする気だったの?」

 董也がボソッと聞いた。

「え、まあ、そんな、まあ、言われただけで、別にさ」

 と答えながら、何で答えてるんだ、私、と思う。

「で、興味ない、って言ったの?僕に言うみたいに」
「うん、まあ……」

 とあやふやに答えた。董也はテレビを見たままだ。その綺麗な横顔見ていたら、なぜだか言い直さなくちゃと思った。

「……貴方とはできないって言った」
「……ふーん」

 そう言って董也はまだドラマを見ている。するとソファの上で胡座をかいて背中にあったクッションをその上に置くと、前屈みに肘をついて手を組むと顎をのせて見出した。
 自分の姿をテレビで見るってどんな感じなんだろ。

 画面では主役とヒロインがジレジレしてる。面倒くさいな、この女。
 横から深いため息が聞こえた。

「このヒロインさ、面倒くさいね」

 私の言葉に董也は答えることなく、足の上のクッションに肘をついたまま両手で顔を覆いだす。

「董也?」

 どうした?

「……ガチじゃん。それ、本気で付き合ってたでしょ」
「は?」
「貴方とはできないって、一旦は本気で考えた答えじゃんか」

 え? あ? 私の話⁈

 董也は、はあ、と、またため息をつくと、参ったなあ、と呟いた。

「えー、と、まあ、そんな事ない、けど、えーと」

 指の間からこっち見るな!

「なんていうの? 結果的には、というか?」
「……僕の咲歩ちゃんが遊び人になってる」
「どっちがいいのよ。あと、僕の、は、いらんから」

 はあ、とまたため息。
 あー何だかなあ。ていうか、何で私もこんな言い訳じみた事わざわざ言ってるのよ。

「何でそいつ、ダメだったの?」
「いろいろ」
「何で僕はダメなの?」
「ぜんぶ」
「ひどすぎる」

 董也は再びテレビに視線を移しながら言う。

「幼稚園からの付き合いなのにさあ……」
「友人としては嫌いじゃないよ」
「一時は付き合ったのに」
「黒歴史掘り返さないでよ」
「……」 

 しばらく二人とも無言だった。テレビの音声だけがする。
 ヒロインが泣いてて、……あー董也とキスしてる。面倒くさい役だけど、綺麗な女優さんだなあ。キスシーン、すごく絵になる。あ、主役の男が来た。修羅場やん。
 ……いったいどんな気持ちで演じているんだろう。

「……だな」

 董也がボソッと何か言った。

「え、何?」

 見ると、難しい顔で画面を見ていた。

「ここ、がさあ。なんかね」

 ん? よくわからない。別に変な感じなかったけどなあ。

 やがてドラマはヒロインと主役が結ばれる形でとりあえず終わった。この後の話が今夜やるらしい。
 董也はテレビを消すとソファの背に頭を乗せて上を向いた。

「やっぱ、まだまだだな、僕」
「何が?」
「全然、まだ下手だもんなあ」

 あ、仕事の話か。

「そう? そんな事なくない?」
「……」
「だって今度、深夜枠で主役もやるんでしょ? 育子さんから聞いたよ。順調じゃない」
「うん、それはありがたいし、マネジメント頑張ってもらってるし、感謝なんだけど」
「何がいけないの?」
「……とりあえず、咲歩ちゃんに見て貰えないし、さ」

 私は笑った。

「いや、関係ないし」
「あるよ」

 董也は私を見る。

「あるよ。見てもらうためにやってるんだから」
「視聴率悪くなかったんでしょ」
「みんなの力だよ、特に主役の」

 董也だって貢献してると思うけどな。

「それに、身近な人に見て貰いたいし」

 そんなものかな。とは言われても。
 董也はまだ難しい顔をしてる。

「仕事好きなんでしょ?」
「好きだよ」
「じゃあ、いいじゃない。頑張っていけば。少しずつ納得できるようになっていくんじゃない?」
「そうかもしれないけど。でも、自分だけで満足しても仕方ないしね、そこは」
「でもさ、結局最後は好きだからやるもんじゃないの? 俳優って仕事は」
「……だからこそ、さ」

 董也は何も写ってないテレビ画面を見ながら言った。

「好きだからこそ、誰かの心を揺らさないと。じゃないとただのオナニーじゃん」

 そう言う瞳は真剣だった。真剣で綺麗だった。
ちゃんと悩んでるのは美しいな、とその横顔を見て思う。何だか胸が詰まって抱きしめたくなる。  
 やばい。それはダメだぞ、私。

「わかんないけど、大丈夫だよ」

 えーと、何て言えば伝わるかな。君は大丈夫だよ、って。綺麗だよって。でも、綺麗は伝わらないか。

「なんていうか、つまり」

 董也が私を見る。

「つまり、イケメンのオナニーは女子を癒すから」

 ……何言ってるの! 間違えた!

 董也が一瞬間を置いて笑い出した。珍しく声をだして笑ってる。

 いいけど。…… あー間違えたわ。あー。

「咲歩ちゃん、ごめん、めっちゃ楽しい」
「……そりゃ、どうも」

 董也はまだ笑いを残しながら言った。

「ごめん。ありがとね」
「……うん」

 董也は笑顔だ。伝わった気はしないけど、よかった。
 私はほっとして、軽くため息をついた。

「何だか董也といるとペース乱れる。今に始まった事じゃないけど」
「うん、僕もだよ」

 お互い様なら、まだいいか。とはいえ、さ。

「そう思ってるなら、いつまでも追っかけてこなければいいのに」

 私が振った甲斐がないじゃない。
 董也は微笑んだ。

「咲歩ちゃんは追いかけたことないの?」
「どうかな」

 ちょっと考えてみる。

「ないかな、ないかも」
「その、プロポーズの人は?」
「ない」
「終わり?」
「終わり」
「潔いね。女の人の方が強いのかな、やっぱり」
「それはどうか知らないけど、……課長とは初めから無いからさ」
「課長なんだ」

 あ、しまった。口滑らした。最悪。

「どんな人だったの?」
「なんでそれをあんたに言わないといけないのよ」
「ただのヤキモチ」

 董也はにっこり笑う。

「それに、咲歩ちゃんの好み知りたいじゃん」
「関係ないし」
「とりあえず、かっこいい人だよね。咲歩ちゃん見た目から入るもんね」 

 そこに自分も入ってるの、わかって言ってるのかな? わかって言ってるな、きっと。

「あーそうよ、かっこいいよ」
「話してみよ? どうせ、誰にも話してないんでしょ」

 ……そうよ。誰に話すってのよ、こんな話。

「……かっこいいし、仕事できるし。課長で上司だけど、元は同期で話は合うし」

 私はやけ気味に話す。

「昇進したんだ、優秀だね」
「うちの会社でもトップクラスにできる男だよ」
「なんかムカつくね。なんで振ったの? 僕の事でも思い出した?」
「そんなわけないし」
「すごくムカつくんだけど」

 と、董也は笑顔で言うと、不意に手を伸ばして私の頭を撫でた。

「振ったのに、未練ないのに、髪切ったの?」

 優しい声で聞く。

 ……だからさ、あんたのそういうところ、本当に苦手なんだけど。

「……完璧な人なのよ。上司としても、同期としても」
「うん」
「できるし、気さくだし、董也みたいにいい人じゃないし」
「なんか引っかかるけど、うん」
「人望もあって、次の昇進も約束されてて、……条件のいい美人の婚約者もいたの」
「………。うん」

 それだけ言って、董也は黙った。 

 冬の日差しが白いレースカーテン越しに入ってきていた。お正月って昼間でも静かだ。そう思っていると、遠くからお寺の鐘の音が聞こえた。

「……彼は完璧で、迷ってた。完璧な事に挫折しかかってた。初めは気晴らしにお酒飲みに行ってたりしただけだったのよ。元々仲良かったし。……まあ、つまりそういう事。始まるつもりはなかったのにね、って言い訳か」

 言い繕った所で変わらない。結婚はまだだったとはいえ、事実上の不倫だ。
 董也は何も言わない。優しい顔のままだ。

「呆れたでしょ?」
「別に、それはない。たださ」
「ただ。何よ」
「距離が遠いとやっぱり圧倒的に不利だなあって」
「何の話」
「僕の話。近くにいたら、絶対、本気になんてさせなかったのにって思ってさ」
「何それ」

 私は少し笑ってしまった。

「呆れた?僕が自分の事ばっかりで」
「それはない」

 董也の問いに答えてから付け加えた。

「それに、本気だったかもわかんないし」
「でも、気持ちを止めれなかったんだろ? そんな負け試合、わかってて」
「本当だよね、なんでだろ」

 私は伸びをした。それから、座っているのも辛く感じて、そのままソファに横に倒れた。
 すぐ近くの董也の体に触れないように注意して。

「……好き、でいいよ。それでいいじゃん」

 董也の声が頭の上から降ってくる。優しくて柔らかい声。この声に逆らうのは難しい、昔から。

「……可哀想だと思っちゃったのよね」
「咲歩ちゃん、助けがちだから」
「違うよ」
 
 そう、違う。

「可哀想な彼といて、可哀想な自分が癒されてたのよ」

 そこには純粋さの代わりに抜け出せない甘さがあった。お互いそうだった。そして、先に抜け出したのは彼だった。私はどうしていいかわからず、ただただ怯えていた。

「……わかるよ」
「うそ、董也は絶対不倫とかしないじゃん」

 いつも誠実であろうとするし、間違ったことしないじゃない。

「そこじゃなくてさ」

 そう言って董也は抱えてたクッションを私の顔に被せた。

「本当に終われたなら、僕はおめでとうって言うよ。そんな見知らぬ完璧野郎より、咲歩ちゃんの方が大事だからさ」
「身贔屓甚だしいね」

 私はクッションの下から答える。涙が溢れそうだった。なんでまだ出てこようとするのかな。ウンザリするほど泣いたのに。

「それに僕にとっては悪くない結果だし」
「……最悪」 

 昔から変な所で自分勝手なんだよ、董也は。そして変な慰め方をする。

「……地獄に落ちればいいのに」
「ひどいな」
「あなたじゃない」

 私は少し笑いながら答える。

「私の話。呪いをかけてるの、自分に」

 そうすれば、楽だから。

「そいつ、婚約者とは?」
「……相手と別れて、私に結婚しようって」

 元々、結婚に迷ってた、君はきっかけにすぎないから気にしなくていいと、彼は言った。それは本当だったろう。でも。

「断ったけど」

 目を瞑ると、その時の彼の顔が今でも浮かぶ。いつもの、動じない体を装おうとするその下から、失望とそして何より悲しみが見えていた。

「……彼ね、婚約破棄してかなりもめたみたい。重役の娘さんだったから昇進コースからも外れてさ。彼女は彼に夢中だったから……。私は気分転換に髪を切って、そんで終わり」

 クッションを頭に載せたまま、ソファに顔を埋める。

「咲歩ちゃん」
「……誰も幸せにならなかった」

 私は唇を噛み締める。泣いちゃダメだ。……泣いたら、董也が私を慰めなくてはならなくなる。

「……呪われてなよ」

 クッション越しに頭に置かれた手が優しく感じる。

 董也は私の最初の呪い。優しいまま、ずっと、そこにある。

「でもさ、あれだよね。その婚約者から慰謝料とか請求されたら大変だね」

 急に董也が明るい声でいった。

「よくわかんないけど、多分だけど、私の事は彼女知らないみたい。二人で会ってた期間も短いし」

 その事が嬉しい訳ではないけれど、だからといってどうしようもない。

「でも、ほら、探偵とか使ったらわかるよ、きっと」
「そうだね、その時は……きちんとするよ」
「あ、ちなみに次の僕の役、探偵なんだ。当て馬じゃなくて」

 は? 何の話?

 急な話の展開に、私は上体を起こして董也に向かって座り直した。

「なんなの?」

 董也は両手で私の頬を包み込むと楽しそうに言った。

「いや、だからさ。咲歩ちゃんが慰謝料で困ったら代わりに払ってあげられるように仕事しなくちゃなって」

 そう言って親指でゴシゴシと私の涙の後をふく。

 なんなのそれ。

 私は手を払った。

「関係ないじゃん」
「関係あるし」
「なんで」
「咲歩ちゃんの事だから」

 そう言う董也の笑顔は明るくて困ってしまう。私の呪いをとかないでくれ。

「……関係ないよ、とあには」

 彼はいきなり私を引き寄せると抱きしめた。

「ちょ、ちょっと!」
「その呼び名、久しぶりに聞いた」

 一瞬なんの事? と思う。無意識に呼んでいた。でもああ、そうね、久しぶり。久しぶりに言っちゃった。
 幼稚園の頃、とうや、と上手く言えなくて、とーやがとーあ、そして、とあ、になって、ずっとそう呼んでいた。別れるまでだったかな。

「ちょっともう、いいから。仕事しなよ」

 私は董也を引き剥がしながら言う。

「そうだった。稼がないと」

 なんかね。

「おじさんの書斎借りていい?」
「どうぞ。でも埃っぽいかもよ、年末に掃除はしたけど」

 仕事で海外に行ってから10年近く、持ち主が使っていない部屋だ。
 大丈夫、と言って、董也は部屋を出ていった。
 私はそのままソファに再び横になる。

 なんだか疲れたな。ずっと疲れてる。
 でもきっと元気になるだろう、そのうち。

 クッションを枕にしながら、さっき頭に感じた手の感覚を思い出す。

 小さく、とあ、と言ってみる。
 こそばゆくて背中がムズムズした。

 うん、二度と言わない。

 
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