いねむり姫 ~魔女姫と呪われた若君~
七番目の息子の七番目の娘は七番目の……

*





白い海鳥が二羽、青い空を悠然と横切ってゆく。


遠くの水平線は海の青と空の蒼がくっきりと分かれ、その手前に広がる眼下の街の長閑で平和な様子は、夏に変わりゆく白くさわやかな午後の日差しに照らされている。

北の塔の屋上、胸壁の凹部に並んで座り、かすかな海風を受けながらヴァラとヒューはのんびりと幸せな時間を過ごしている。彼女の膝の上には、毛玉子犬のふわふわ雪がいねむりをしている。



三日前、もう一つの解呪を終えたところだった。北家のシュタインベルク侯爵家の嫡男、マイヤー子爵ヒューのための解呪。

彼は今まで五人の婚約者と、次々と死別してきた。五人まではことごとく命を落としていたために、「呪いの若君」と呼ばれていた。そして六人目の婚約者は死ぬことはなかったものの、死ぬよりもましとばかりに使用人だった幼馴染と駆け落ちしてしまい、つい最近に婚約が破談になったのだった。

しかし彼はほどなくして、七人目の婚約者を得た。それが現王の七番目の王女のヴァラである。

彼女は今までの彼の婚約者だった令嬢たちとは違い、婚約すれば死ぬかもしれないと脅えることはしなかった。

それは彼の父親の侯爵と彼女の父親の王が決めた、政略的な取り決めでもなかった。彼らは自分たちの意思で婚約を申し出たのだ。



二週間前にヴァラが王家に二百年以上続いていた呪いを解いた。

その二日後に、王と王太子は西家のクラム侯爵ゲオルグ・メッテルニヒを王家に対する不敬罪及び反逆罪で弾劾した。王女ヴァラを攫おうとしたり、金で雇った魔術師に王女の解呪の妨害をさせたためだ。

雇った魔術師の記した書状、王女を攫おうとしたものたちが侯爵の配下であったこと、そして王家の呪いを揶揄する内容の友人に宛てた書簡、万が一王太子が呪いで亡くなった場合の愛娘の輿入れ先の変更の手順書などが証拠として提出された。これによりクラム侯爵家は爵位はく奪となった。

準爵位である伯爵家は息子が継ぐことは許されたが、ゲオルグ本人は地方の領地の一つに蟄居(ちっきょ)を命じられ、二度と登城することは許されなかった。


そして一週間前、突然に第七王女ヴァラと北家シュタインベルク家嫡男ヒューの婚約が公に発表された。

「呪いの姫君」と「呪いの若君」の婚約は、貴族たちにとって驚愕の出来事となり、クラム侯の失脚はこの二人の話題で瞬く間に打ち消されてしまった。

貴族の間だけではなく噂は市井にまであまねく先走り広まった。尾ひれがたくさんついて、そのため人々の噂はえげつないものが多かった。



「六人目の婚約者が死にたくないがために領地の使用人をいけにえに差し出して逃げた」

「呪いの姫君が侯爵家の若君の婚約者を呪い殺した」

「二人の結婚式には十三人の子供がいけにえにささげられるらしい」

「二人の共通の趣味は拷問らしい」

「実は呪いの若君のほうも、空を飛べるらしい」

「どちらも実は二百歳を超えているらしい」



本人たちは巷の噂を面白おかしく笑い飛ばしていたが、王太子を始めとする王子王女たちは憤懣(ふんまん)やるかたなかった。

しかし三日前、シュタインベルク家への挨拶のために普段は王太子を護衛する兄王子イギーを護衛とした王女が、婚約者のシュタインベルク侯爵家マイヤー子爵とともに騎馬にて市中を抜けてゆく控えめな行列を目撃した人々は、呪いの姫君と呪いの若君への印象を百八十度転換させた。



「なんてお美しいお二人でしょう! 眼福だわ」

「呪われているなんて誰が言いだしたの?」

「美男美女でお似合いねぇぇ」

「結婚式のパレードが楽しみねぇ」

「うわさなんてあてにならないものだな」



第七王女に関するうわさは、ほとんどがただの噂である。人見知りがたたってか公の場には現れたことがなく、噂はさらに独り歩きをする、ということが繰り返されてきた。

ヒューの両親にしても、貴族たちのうわさ話に恐々としていたことは否定できない。

しかし、侯爵家の門をくぐり息子の手を借りて下馬する王女を見て、彼らは安堵するどころか得難い至宝を手に入れた息子を褒め称えたくなった。今までのどの婚約者よりも高貴で美しい。

鷹の谷の伯爵家との破談を奏上したときに、何の相談もなく王女との婚姻の承諾をいきなり王に直談判するという、いつになく大胆な行動をとった息子に驚くやら腹を立てるやら青ざめるやらした侯爵も、第七王女からの挨拶を受けたあと、息子を信じてよかったと安堵した。


うわさの「呪いの姫君」は実は美しく賢い「王の掌中の珠」であった。兄の王太子も大切にしているという。

魔女の血を引くことは真実であるらしいが王の娘に変わりはなく、侯爵の父でありヒューの祖父であった前侯爵が心酔していた魔術師エドセリクの孫にあたるという。

そして今日、未来の義娘(むすめ)となる見目麗しき王女は、大切な嫡男が生まれた時からかけられている謎の呪いを解いてくれるという。



大広間を人払いして、解呪は行われた。

バスタブと言ってもいいくらいの大きな(かめ)に泉の清らかな水が張られる。

ヴァラが小さく呪文を唱えながら時計回り(デイシール)に甕の周りをまわる。魔術師エドセリクによって守護の剣にされたバスタードソードを彼女の傍らでヒューが両手で掲げ持ち、指示に従ってそっと甕の中に浸す。

西側の壁際ではイギーと侯爵が見守っている。

ヒューが両手でグリップを持ち剣を水から引き上げ、ヴァラが手を添えて遠心力で水滴を飛ばす。そして剣先で水面を斜めに切り上げるとやがて波紋が静まり、そこに映像が映し出された。


「……」

しばらく水鏡に見いっていたヴァラは、顔を上げると困惑して傍らのヒューを見て、そして兄と公爵を見た。

「ヴァラ?」

「どうかした?」

イギーとヒューが首を傾げる。ヴァラは眉尻を下げ、困り顔のまま侯爵に告げた。


「閣下、原因は分かったので解呪できますが、なにが原因だったのかは申し上げ難いのです。今掘り返せば当時に遡って国家間の問題にもなりそうなので、このままそっとしておいたほうが良いと思います。お(ゆる)しください」

侯爵は一瞬驚いてからヴァラの言葉を反芻し、しばし何やら逡巡していたがそれで納得してくれた。

ヒューが剣を胸の前で掲げ持ち、その隣でヴァラが呪を唱える。

するとほどなくして水鏡の上に煙のような黒い(もや)が現れて、やがて水面の中に吸い込まれていった。



かくして十八年続いた侯爵家の呪いは解かれたのである。



今、北の塔の屋上で、ヒューの肩に頭を預けていたヴァラにヒューは言った。

「ねえ、そろそろ教えてくれてもいいんじゃないかな。あの時、水鏡の中に何が見えたのか」

「ああ、あれね」

ヴァラはヒューを見上げて苦笑する。

「国家間の問題って、気になってあれからよく眠れないよ」

冗談交じりにヒューが笑う。

ヴァラは実はね、と話し出した。



ヒューの父・シュタインベルク侯爵は、若い頃まだ侯爵位を継ぐ前に外国に留学していた。そこで偶然出会った異国の姫君と恋に落ち大恋愛の末に結婚した。

相手の姫君はある国の王太子との縁談を断って侯爵に嫁ぎ、ヒューを産んだ。それは一般的によく知られていた国境を越えた世紀の大恋愛結婚の「事実」だが、知られていない、というか、当事者たちも知らないことがあった。


二人が大恋愛の末に結婚を決めたころ、侯爵の留学先の国のとある高位の貴族の令嬢が、侯爵に恋慕していた。しかし侯爵は異国の姫君しか目にはいらない。

思いつめた令嬢は、侯爵と婚約した姫君を呪った。

怪しい邪教にはまり、まがまがしい儀式で呪いをかけたのだ。しかしそれは直接姫君を呪うものではなく、やがて姫君が生むであろう侯爵の嫡男を呪うものでった。


生まれてくる子供は侯爵家の跡取りとなるが、その子も、その伴侶となる者も長くは生きられない。したがって、姫君が生む子供の系統は途絶えるのだ。


「邪教は怪しい儀式を行うでしょう? それに妄執も加わって複雑に絡み合っている嫌な感じの呪いだったわ。でもヒューは、珍しいくらい強運な星のもとに生まれたの。そのうえエドセリクの加護を受けたために、あなた自身は呪いを受けなかった。その代わり、伴侶となるはずの婚約者にすべての呪いが降りかかっていたみたい。こんなこと、侯爵の前では言えないでしょう? しかも当時異国の王女だったあなたのお母様を呪ったとしたら、侯爵の留学先の国との外交問題になるかもしれないから、あとでヒューにだけこっそり教えようと思っていたの」

「なるほど……気遣い、ありがとう」

「どういたしまして」

「もうひとつ、訊きたいな。私の強運とは、どのようなものなのか」

「それはね、あなたの生まれた時の星の位置を読んでみたらわかったんだけど」

「うん?」

「あまりにも強運すぎて、周りを不幸に陥れる……」

「ええ?」

「周りの幸運を独占してしまうの。それで呪いがヒューには直接効かなかった。エドセリクの守護でさらに守られたけれど、彼にも呪いがどんなものか解明しきれなかったみたいで、歪みが婚約者達の不幸に出たみたい」

「うーん……」

ヒューは困惑するしかない。

「エドセリクがあなたのお爺様に頼まれて守護の呪をかけたのは、ちょうど私が生まれたあと。彼は気づいたの。あなたの生まれの太陽と月の位置は、私のと正反対にあるって」

「うん?」

「だから守護の剣の、ここ」


ヴァラは胸壁に立てかけてあるヒューの長剣を手に取り、柄頭(ポメル)の先端のガーネットを指し示した。

「私の護身用の短剣(バセラード)と同じ石を嵌めたの。たとえあなたにかけられた呪いを解けなくとも、彼は何の心配もしていなかったはずよ。正体の知れないどんな邪教の呪であったとしても、私が必ず解くだろうと分かっていたと思うから」



つまり、稀に見る強運の持ち主であるヒューが、来たるべき時がくればヴァラに出会い、互いに作用し合うという仕掛けを、魔術師エドセリクは呪のなかに込めたのだと言う。

そして邪教の呪は、愛するものによって解かれると。


ヒューはヴァラの手から剣を受け取り、再び胸壁に立てかけた。そして傍らの彼女に優しく微笑む。

「ヴァラ」

「なに?」

ヒューはそっとヴァラを抱きしめた。

「七番目の婚約者になってくれてありがとう」

「なによ……今言う?」

ヴァラはくすくすと笑い、ヒューのウエストに腕を回した。

彼女がヒューに大きく傾いたので、膝の上で丸くなって微睡(まどろ)んでいたふわふわ雪が、ころんと石床にまろび落ちた。



海鳥たちが鳴いた。

それは、キラキラと太陽の光を反射した水平線に向かって、二人の頭上から碧空を悠々と飛び去って行った。






【完】








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