夫が「愛していると言ってくれ」とうるさいのですが、残念ながら結婚した記憶がございません
「お前は……。俺の心が読めるのか?」
「旦那様とは長年の付き合いでございますから、お考えになるようなことはわかります」
 それでも「離縁しなくてもいい」という言葉が、ランスロットの心を救っていた。
 カップに手を伸ばしお茶を一口飲むと、身体の中から温かくなり、次第に荒れた心も落ち着いていく。
「シャーリーの記憶は、戻るのだろうか……」
 その問いにセバスは答えない。そもそもその問いに正確な答えはないからだ。
「医師が言うには、奥様はここ二年ほどの記憶を失っているとのことです」
「二年か……」
 二年前といえば、ランスロットがシャーリーを知ったちょうどその頃だ。となれば、彼女はまだ男性に対して、畏怖を抱いていた頃。
「だから、俺も六歩か……」
 事務官として優秀な彼女であるが、男性と触れることができないのが欠点であった。そのため、彼女はずっと地下にある事務所内にこもっていた。
 誰かが持ってきた書類を黙々とこなすことが彼女の仕事だった。他の事務官は、書類の持ち運びや、王城で働く各人たちに頼まれた雑用などもこなしていたようだが、彼女だけはあの事務室から出てくることはなかった。
 だから、こそっとつけられたあだ名は「モグラの女」である。
 そしてランスロットは知っている。他の事務官からも、書類仕事を押し付けられていて、誰よりも数をこなしていたことを。それに文句一つ言わず、粛々とやり遂げていたことを。
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