乳がん一年生

がんが見つかるまで

「結果、悪性と診断されました」
2022年の年末に告げられた検査結果は、乳がん。
これから先、私がめげずに頑張るために、独り言としてしばらくつづっていこうと思います。

事の発端は同じ年の夏に受けた、職場の健康診断でした。
マンモグラフィーで精密検査要と判断されたのですが、実は2年前にも同じように精密検査と言われエコーをした際には問題なしとなっていた私。
前回は左側、今回は右側と異なる胸だったのですが、自覚症状もなく、今回もきっと問題はないのだろうと心の中で勝手に思っていました。
二次検査を受ける病院は予約制だったため、12月の初旬に予約をし診察をしてもらうことになりました。

再度マンモグラフィーを撮り、その後触診では「確かにおかしなところは感じませんね」とお医者さん。
しかし、次のエコー検査では、前回のエコー検査よりも長い時間じっくりと見ているような印象を受け、少し不安も覚えてきました。
エコー検査を終えた先生から発せられたのは、「右胸に7ミリほどのしこりが確認されます」という言葉。
そして、良性か悪性か判断する必要がある為生検を取る必要があること、しかし、今回きている病院では設備がないので別の病院を紹介するということの説明を受けました。
今後のことも考え、家から通いやすい病院を紹介してもらう手筈となり、再び紹介された病院へと向かったのが12月21日。
その病院ではマンモグラフィーは撮影せず、診察前にエコーを撮りました。
そして局部麻酔をし生検を取ったのですが、検査結果を聞きに来る日程の調整となったのですが……。
結果が出るのが1週間後、今回の場合は28日です。
12月28日といえば、世間的に仕事納めの企業が多いわけで。
私の勤めている職場もですが、病院もその日が仕事納めでした。
なので、当初は年明けの仕事の休みが取れそうな日程で予約を取ろうとしていたのですが、不意に先生が仰ったのです。
「28日、どうしても来れない?」
「数時間抜ける感じでなら、なんとか……」と私。
こうして仕事中に中休みを取り、年末に結果を聞きに行くことになりました。
今思うと先生は、画像でもしかしたら悪性かもと察していたのかも知れません。
なるべく早く結果を伝えてくれるように調整してくれてありがたかったなと思っています。

余談ですが、この生検の日にちょっとした事件が起こります。
病院の予約時間は11時だったのですが、すべてに検査が終わった時点で時刻は14時過ぎ近く。
実はお腹がだいぶ空いていた私。生検のときにも気を紛らわすために心の中で「ああ、お腹空いたなぁ。何食べようかなあ」なーんて考えるくらいの状態だったからかどうかはわかりませんが、会計待ちの間に気分が悪くなったのです。
時々経験する、血圧がいきなり下がってきてちょっとふわーっとなる感じで、経験則からすると横になれば落ち着くのですが、ここは病院の待合室のソファ。
こんなところで横になっていれば何かあったと思われるかもと思い、先に受付の人に「すみません、気分が」と自己申告すると、逆に先生や看護師さんに慌てて駆けつけてもらいご迷惑をかけてしまう結果となりました。
処置室のベッドをお借りして少し横になった後、30まで下がっていた脈拍も無事に戻り、帰宅することができました。
みなさんも検査の際に食事制限とかなければ、しっかりと栄養とってから病院に行くことをお勧めします。

そして28日。
受付を済ませた私は、受付票に若干の違和感を感じました。
診察前になぜか、採血に心電図、胸部レントゲンの検査が示されていたのです。
結果聞きに来ただけなのになあ、と思いながらその3つの検査を受け待合室で呼ばれるのを待っている間、改めて受付票を見ていると、採血の検査の中に『輸血』とかそういう文字を発見。
素人でもなんとなく気づきますよ、何もないのに輸血とかの検査ななんてしないって。
きっとこれ、手術ですよねって。

なんとなく、観ようとしていた映画のネタバレをされたような気持ちになりながらお呼び出しがかかり、診察室へ入ると冒頭の言葉を告げられました。
心の中で「ですよねー」と遠い目になりながらも先生は待ってくれません。
ひとまず手術の予約をしているので、それに向けた検査を今後していくという話をされました。
年明けには転移がないかを確認する造影CTの撮影をすること、また、これに関しては本人の意思にはなるけれど、発症年齢(40代前半)などを鑑みて遺伝子検査についての説明も受けました。
「何か聞きたいことはありますか?」と先生から問われるのですが、次回の検査等を終えない限りは手術の内容やそんなことも分からない状態なので、私の方からは何も質問することはできず、病院を後にし職場に戻って納まった気のしない仕事納めをすませました。

当時の私の気持ちはどうだったのかというと、そこまでショックは受けていませんでした。
なぜなら、数年前に私の父もがんを患っていたし、祖父母4人の内の3人をがんで亡くしていたこともあり、遅かれ早かれ直面する病気だろうなと感じていたからです。
ただ、思ったよりも早くかかったことで、今まで考える必要のなかったことを気にしないといけなくなりました。
一番は、仕事とお金の問題です。
健康だけが取り柄のような人生を過ごしてきたため、まさかお仕事を体の不調で長期お休みすることになると思っておらず、老後の資金計画なんかも『今の状態で定年までしっかりと働いたら』といった目線で考えていたこともあり、私が休んでいる間の仕事の引継ぎやフォローを誰にお願いしたらいいのか、とか、治療費はどのくらいかかってしまうんだろう、年単位で休まないといけなくなったら年金とか貯金とかどうなっていくのだろう、とか、まったく考えたこともなかったことを考えるようになりました。
あと、私に特化した話をすると、趣味について、所謂『推し活』はどうなるだろうといったものです。
宣告前に私の推しの対象者たちに動きがあったこともあり、『推しは推せるときに推せ』という言葉をめちゃくちゃ胸に刻んていたところに降ってわいた今回の件。
自分に何かあっても推し活ってできなくなることもあるんだなと思うと、ますますこの言葉が胸に刺さりました……。

もうひとつは家族について。
私はパートナーや子どもはいないので、両親と妹に病気のことを伝えました。
本当は伝えるの嫌だったんですよね、私以上に落ち込む家族なので……。
案の定しょんぼりさせてしまいましたが、手術したら治る状態だよきっと! と励まし合って(?)年末年始を迎える準備に入っていきました。





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