この恋がきみをなぞるまで。
「おれも右手の練習をした方がいいのかな」
両手をグーパーと開いて閉じながら、昴流は首を傾げた。
それは日和さんもわたしも強要はしない。
昴流の意思で決めていいんだよ、と伝えると、くちびるを突き出してぶつぶつ言い始める。
「習字のとき、結構大変だしさ。あ、そうだ、芭流姉は毛筆も上手なんだろうなあ」
「……習字は、しないよ」
ほとんど反射的に返事をしてから、自分の声のトーンの低さに気付く。
昴流は気にしていないようで、何かの文字のはらいがどうとか、独り言のように話していた。
「あ、芭流姉、だめだって」
昴流がそうしている間に、落ちた荷物を拾い集めていると、慌ててしゃがみこむ。
エナメルバッグの中身は飛び散っていて、ドリンクの蓋が空いていないことを確認していたのにさっと奪い取られる。
「あのね、昴流。確かにときどき痛むし、右手みたいには使えないけど、物を掴んだり持ち上げたり、手を動かすことも大事なんだからね」
「それは、そうだけど……」
腑に落ちないのか、昴流はもごもごと言いたいことを飲み込んだようだった。
これ以上悪くなることはない、と付け加えかけて、やめた。
良くなることも、きっとないだなんて、わざわざ言わなくていいことだから。
いつか、すべてを話す日が来るのかもしれない。
そのときまで、小さな太陽のような昴流の笑顔が翳ることのないように、秘密にさせて。