新そよ風に乗って 〜夢先案内人〜

「外で待ってる」
「えっ?」
「まさか、その格好では行かないだろう?」
「高橋さん?」
「着替えて、会社に行くぞ」
「あっ、はい」
ドアを閉め、通路で彼女を待ちながら時計を見ると、時計の針は11時前を指していた。今から出れば、お昼前には戻れる。午後からは本腰入れて決算処理が出来るな……。そんなことを思いながら通路から見た景色の中に、遅咲きの白木蓮が陽の光を浴びてその可憐な花を咲かせているのが見えた。
「す、すみません。お待たせしました」
「行こうか。中原が待ってる」
「はい」
駅までの道程、不思議な感覚に捕らわれていた。平日の午前中、部下の新入社員と会社に向かっている。学生時代ならば考えられなかったことだが、平日のこの時間。しかもこんなに天気の良い穏やかの日に、今、自分がここに居ることが何とも居心地が悪いような、落ち着かない気分になっていた。
「高橋さん。一つ、伺ってもいいですか?」
「ん?」
電車から降りて会社に入る直前、珍しく彼女から言葉を投げかけてきた。
「さっき、二人っておっしゃいましたよね?」
彼女の聞きたい事が何のことかは、すぐにわかった。
「一人は中原さんで、あともう一人は、どなたなんですか?」
「矢島さん」
「は、はい」
「会社の組織の中に居ると、いろいろ厳しいことを言ってくる人も居ると思うが、それは良い経験をさせて貰っているぐらいに思っておけばいい。人間、何も言われなくなったらおしまいだ。見放されたと同じだから。頑張って」
「はい」
エレベーターに乗って経理の階が近づくにつれ、彼女が緊張した面持ちに変わっていく。
「さっきの話しだが……。あっ、降りて」
「は、はい」
エレベーターのドアが開き、彼女を先に降ろす。経理の事務所のドアノブを掴みながら、一瞬、彼女を振り返った。
「あともう一人は、俺だ」
「えっ?」
ドアを開けて会計の方へと歩みを進めると中原と視線が合い、後から来ているだろう彼女の姿を見て、中原の安堵した表情を浮かべているのが見えた。
「中原に、ちゃんと……」
「高橋さん。ありがとうございます」
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