恋文の隠し場所 〜その想いを読み解いて〜
 その週の土曜日、朝10時前。駅前の小さなビルの1階で、光子さんを待っていた。

「杏凪ちゃん、ちゃんと来たわね」

「はい、まあ、約束はしましたから」

 光子さんはなぜかいつもより気合の入ったメイクをしており、普段仕事でも履かないようなヒラヒラしたスカートを揺らしている。
 その隣で、小学生高学年くらいの女の子が、私にペコリと頭を下げた。

「娘のマキ。マキもここに通っているのよ」

「へえ、娘さん……」

 そんな私たちの会話の間に、マキちゃんは勝手知ったる様子でエレベーターのボタンを押していた。

 ◇◇◇

 エレベーターが4階で止まると、マキちゃんはさっさと降りていく。私は光子さんと並んでエレベーターを降りた。

「いつ頃から習字を?」
「去年の秋ごろかしら、知り合いに勧められて……」

 不意にマキちゃんが「おはようございますー」と声を上げた。すると光子さんも慌てて背筋を伸ばし、にこやかな笑みを浮かべた。

 ――はい? 習字教室ですよね?

 そんな疑問が浮ぶけれど、マキちゃんが入っていった教室の中を見て納得した。

「おはようございます」

 そう返事を返したのは、20代後半くらいの丸眼鏡で長身の男性。
 短く切りそろえられた黒髪に、淡いブルーのシャツとチノパンツ。爽やかな笑顔をマキちゃんに向けている。

 これぞ、まさに、爽やかイケメン。

 ふと隣を見ると、光子さんは目をハートにしている。私の視線に気付いて、光子さんが耳元でそっと呟いた。

「どう? 先生、イケメンでしょ?」

 どうやら彼が書道教室の先生らしい。
 彼はこちらにやってくると「どうも」と頭を下げる。

「今日も恰好いいわねえ、先生」

 光子さんの熱烈なアピールを「あはは、ありがとうございます」と受け流し、こちらを向いた彼。目が合ったので、ペコリと頭を下げた。

「彼女よ、無料体験希望の子」

 光子さんに紹介され、「宍戸杏凪です、よろしくおねがいします」ともう一度頭を下げた。

 彼はなぜか一度目をパチクリさせる。けれどすぐに微笑んだ。

「こちらこそ、よろしくおねがいします。講師の鶴田(つるた)です」

 先生が軽く下げた頭を元に戻すと、光子さんの熱烈な視線が割り込んできた。

「じゃあ先生、よろしくおねがいしますね。またお迎えの時に伺います」

「はい、では」

 光子さんはうふふと笑って教室に背を向けた。
 ――背を向けた?

「ちょ、ちょ、ちょ、待って下さいよ光子さーん!」

 私は慌てて光子さんの腕を掴む。

「どうしたの? 杏凪ちゃん」

「『どうしたの?』じゃないですよ、光子さん帰っちゃうんですか!?」

「ええ、通ってるのはマキだけだもの。私は送り迎えだけ。じゃあね、杏凪ちゃん、頑張って!」

 光子さんはそのままエレベーターの方へ戻っていく。
 呆然とそれを見届けている間にも、何組かの親子が私の横を通っていく。
 もちろん、お母様方はみな綺麗目の恰好をしていて、きゃっきゃうふふとエレベーターホールへ戻っていってしまった。
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