月下の逢瀬
ぎり、と下唇を噛む。


と、閉ざされていたドアが小さな音をたてて開いた。
そっと顔を覗かせたのは、俺の母親だった。


「着替え、持ってきたの。玲奈ちゃんは、どう?」


「……ああ。相変わらず」


そう、と呟いて、中に入って来た。
抱えていた紙袋を俺に突き出す。


「少しは、寝たの? 食事は?」


「サンキュ。大丈夫、ちゃんととってる」

母は眠る玲奈の顔を、そっと覗きこんだ。
額にかかる毛を払い、まだ腫れている頬を優しく撫でた。


「……あちらのお母様、いらした?」


「来たけど、顔を見ないで帰ったよ。妹が少しこっちに寄ったみたいだけど」


「そう。相変わらず、ね」


近くにあった椅子に座る。
視線は玲奈の顔に向けられたまま。


「何でこの子だけ……こんな辛い思いばかりしなくちゃいけないのかしらね」


ぽつりと独り言のように呟いたそれは、俺への非難の色があった。


「理玖、真緒ちゃんとは……」


「今話すことは何もない」


言って、立ち上がった。


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