記憶がありませんが、身体が覚えているのでなんとかなりそうです

8.気付いた不安

 互いにポカンと間抜けな顔を見せ合ったのが少し前のこと。
 
 私は裸でもキャミソール姿ではなく、いつも着ているらしいネグリジェだ。エリックも今は目の毒な肌色は寝間着に隠されている。そして綺麗に整えたベッドの上で横になりながら、腕枕をされている。
 行為を思えば、これくらいなんてことはない……わけではなく、初めは抵抗した。しかし悲壮感たっぷりのエリックに折れたのだ。あんなの反則……。
 演技じゃないのかと思ったけれど、慣れない感情と行為に疲れていたから早く横になりたくて、大人しく従うことにした。しかし初めてのエリックの腕枕は、とてもしっくりきていて……。それもそのはず、寝るときは毎日のようにそうしていたらしい。知らないのに知っている、不思議な感覚だ。
 
 そう、私の身体は二十四歳になったエリックの妻のまま、なぜか意識だけが十六歳らしい。彼の愛撫や行為を覚えていたから、痛くなかっただけでなく、あんなにも気持ちよかったのだ。恥ずかし過ぎて穴があったら入りたい。エリックの腕が許してはくれないだろうけど。
 
 漸く違和感の謎は解けたが、エリックの態度にはまだ戸惑うばかり。つい先ほど互いの認識の違いに気付いて話し合いに突入するかと思われたのに、再び動き出したエリックに散々啼かされたのだが。もちろんしっかり出されていた。エリック曰く当時の私とそう話し合っていたらしい。
 記憶にないから、そうなのかと信じるしかないのがじれったくもあるけれど、まぁ、夫婦なんだし……。それでも結婚相手が知りすぎているほど知っているエリックだったから、良かったとも思う。
「知らない人と結婚してたらもっと混乱していたかもね」
「……は? 当てでもあるのか?」
 瞳のハイライトがスッと消えた気がして、火照っていたはずの身体が冷えた。背中に回された腕から逃がすまいという気概を感じる。逃げませんけど?
「ないよ! むしろあったと思う? 私のこと、よく知ってるでしょ」
 慌てて言い返すが、その探るような視線が痛い。後ろめたいことなど何一つないから、段々ムッとしてしまう。
「知ってる。でも知らないこともあるかもしれないと常々思ってはいる。……させないけど」
 私の頭に顔を埋めてそう呟くものだから、脳内に響くようにエリックの声がする。こんなに重い愛を持っていたなんて。それがこんなにも嬉しいなんて。
「エリックのことが好きだと気付いた私を信じてよ。なんでも真っ直ぐのめり込むタイプなの。それが初めての恋ならなおさら」
「…………」
 恥ずかしさを堪えて気持ちを吐露したというのに、言葉は帰って来ず。いったいどうしたと顔を上げてみれば、頬を真っ赤に染めたエリックがいた。そんな表情を見たら、私も顔に熱が集まってしまうというもの。けれど先ほど翻弄してきたエリックとは思えない、私の知る彼がそこにいて安堵した。
 知らない世界に放り込まれたわけでもなく、ここは私の過ごした時間と繋がっているんだ。
 
 
「治療を受けながら九十六日、眠り続けていた」
「百日も……」
 再び甘い空気になりそうなところをぶった切り、空白の年月をエリックに訊ねた。少し残念そうな表情とか見なかったことにする。そうでもしないと気づいたら朝になりかねない。
「九十六日だ」
「変わらないでしょ。九十日でも百日って言うわ」
 面倒くさくてそう言えば、子どもを可愛がるかのように慈愛に満ちた笑みを向けられて頬を撫でられた。なんで……。と呟けば、らしくて可愛いと、返ってきた。だからなんで……。
「大事なことだ。怪我の程度と意識の状態、それを見越して目を覚ますように期間を設定していた。予想より遅ければ心配したが、早いとなるとラリアの残っていた魔力とその回復度合いが良好だったのだろう。しかし……」
「記憶が抜けているから、ね」
「そう、俺がスライムに流した魔力だけでなく施した全てに不備はなかったはずだが……。詳しいことは明日から調べてみる」
「うん……」
 完璧なエリックが失敗するとも思えない。そう、自慢ではなく事実なのが羨ましいけれど、誇らしくもある。
 
 そもそも私が医療スライムで大がかりな治療を受けていた原因はというと、所属していた魔術師団の遠征中に突然凶暴化した魔獣の襲撃に遭ったのだという。そしてエリックの治療を受けながら屋敷に戻り、医療スライムに包まれたということだ。
 
 最高レベルの治療である医療スライムだが、その効果はゆっくりとしたもので時間は掛かるが効果は保証されている。私が知っている小さなものですら、患部に貼り付けたままにしておけば、保護をしながら治療をし続けるので気づいたら治っているというもの。スライムが消滅したら治療は終了。しかし効果は高いが、その分高価でもあるので一般に普及はされていない。よほどの怪我か、それに加えてお抱えの魔術師がいる身分の高い御方が使用することが殆どだ。
 しかし魔術師が家族にいれば話は別。わりと皆、惜しみなく使っている。それは私の父も同じだった。だからエリックが使ったことに疑問は起きないけれど、問題はサイズである。
 とんでもない量の薬草や希少な素材、それを魔力を込めながら調合しなければならなかったのだろう。作り上げたところで、定期的に魔力を送らないといけないのに。けれど大魔導師の父と学園きっての優秀なエリックがいれば不可能ではないのかもしれない。
 
「……とにかく私は仲間を庇って重傷になった、と」
 確かに私なら身体が勝手に動いてしまうだろう。ただ重傷と言われても痛みも傷もないからピンとこないけれど。
「そうだ。俺とラリアは同じ攻撃部隊だから普段は散らばって配置されるだろう。今回たまたま近くにいたから良かったよ……ってなんで笑ってる?」
 
 エリックに指摘されて手で抑えるが、口元が緩んでしまう。
 
「だって私、魔術師になれたんだなって思ったら嬉しくって」
「そりゃそうだろう。俺たちは卒業までずっと優秀だったんだ。入れないほうがおかしい」
「それでも嬉しいよ! だってお父様みたいになりたくて頑張ってきたんだもん」
 
 そう返せば、ハッと息をのんだエリックは私を愛おしそうに抱きしめてきた。
 
「うん、やっぱり、見た目はいつものラリアと変わらないんだけど、やっぱり昔のラリアなんだな。今も可愛いがあの頃もそれ以前もめちゃくちゃに可愛かった」
「……そりゃ、どうも」
 
 目尻にキスをされて苦笑する。エリックはかなり私を愛してくれているようだ。どうやって隠していたの? とも思うが、私もそういうふうに見ていなかったから気付かなかったのかもしれない。
 今の私たちに至るまでのことをもっと知りたいと思った。そうしたら何か思い出すかもしれないし。
 
「ねぇ、明日って用事ある? なかったら街に出てみたい!」
「不安じゃないのか? 自分以外が八年の時を経てるんだぞ?」
「エリックが一緒だから何も怖くないよ!」
 言ってから恥ずかしくなってしまい、首筋に顔を埋める。エリックの脈が速くなった気がした。
 
「……そういえば、さっき俺に好きって言ったが」
「え?」
「小さい頃からラリアに男が寄り付かないように、常に目を光らせて一緒にいたし、卒業してから猛アピールして囲い込むようにして結婚したんだ。だからここ数年は想い合っていたとはいえ初めは絆されて結婚してくれたんだとばかり……」
 
「エリックってば、そんなに昔から私のこと好きだったの?」
 思わずそう聞いてしまったのは、この事後の雰囲気がなせる業かもしれない。けれど気になったのだ。
「確かにあからさまに口にしたことはなかったけど、周りは皆知ってたな。ラリアだけだ、気付いていなかったのなんて」
「えぇぇ、やっぱりそうなんだ……」
 もしかして、特に今まで浮いた話がなかったのはエリックのせいだったのか……。あったところで、魔術師になるために夢中だったし困ったかもしれないけれど。
 
「で、さっきの質問、答えて? 俺のこと、好き?」
「うん、実は途中で自覚した。そもそも好きじゃなかったら色々と許してないよ!」
「ラリア……!」
 
 感動したらしいエリックからキスの雨が降ってくる。冷静になればなるほど、生真面目で堅物のエリックの甘い態度が信じられない。怒涛の半日で慣れたとはいえ。
 
「……! ということは今のラリアとしては初めてだったのに、色々としてしまったのか……」
「あー、うん。最初はびっくりしたよ。見慣れない部屋だし、なんか身体も成長してるし。それにエリックが大人っぽくなってたから、夢かなとも思ったのよ」
「そうか……。てっきり目覚めたばかりだから、ぼんやりしているのかと思っていた。戸惑っていたのか……」
 いつも失敗や無茶をする私を窘めることが多いから、しょんぼりしているエリックの姿は珍しい。
「一応抵抗してたんだけどね、気付いてもらえなかったけど!」
 暴走気味だったのは、私が目覚めて嬉しかったのだと今なら分かるものの、何も知らない私の混乱も知って欲しい。
 
 身体に触れられて戸惑った感情を思い出す。エリックは漸く目覚めた妻を、いつものように抱いただけだけれど。
「本当にごめん。確かに今思えば、表情に違和感はあった。でも久しぶりのラリアを感じることができて浮かれてた」
 
「というか、普段から……。私たちあんなことしているの……?」
 
 私の八年間の記憶がゴッソリ抜けているだけで、未来にやってきたわけではない。今後十六歳のエリックに会うことはないのは、逆にラッキーなのかもしれない。この状態では今までと同じような関係を築ける気がしないから。
 
「ラリアと毎日一緒に寝ていて、何もせずに済むわけがないだろう。そりゃあ初めはお互いに不慣れだったけどな」
 
 ラッキーだと思ったはずの私の心がチクリと痛んだ。エリックは私と歩んできた日々を知っているけれど、私は何も分からない。エリックから聞かされる話は、全く知らないことばかりで、いっそ他人事のようだ。
 幼馴染から恋人になって、夫婦になるという人生の転換を共有できないなんて。エリックに対する申し訳ない気持ちと、何も分からない焦燥感。街に出たいと言った私に、不安じゃないのか? と問うたエリックの言葉を理解してしまった。
 
 この八年以内に知り合った人ならば、向こうは知っているのにこちらが知らない状態だ。顔を合わせたなら、どうしたらいいのだろう。
 
「ラリア……?」
「あ、えっと、なんか直接言われると恥ずかしくて……」
 
 ただでさえ鋭いエリックだから、夫婦として私と密に過ごしている彼に不安を悟られまいと再び首筋に顔を埋める。確かにそこには、私のよく知るエリックの落ち着く香りがした。
 
「……無理させたから疲れただろ? 明日またゆっくり話そう」
 
 背中を撫でられて、瞑った瞼の裏が熱くなる。これはさすがに誤魔化せないかもしれない、そう思ったけれど、エリックは何も言わずに背中を撫でてくれていたし、私もいつの間にか眠りに落ちていった。どうか起きたら記憶が戻っていますように、と願いながら。
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