人魚な王子

第4話

 強い日差しに肌が焼かれる。
あんまり写真は撮ってほしくないな。
まだ人間になれたわけじゃない僕の体は、きっと人間っぽくはないから。

「何でも頼れる、気さくでいい奴ですよ」

 岸田くんは僕の肩に腕を回すと、顔を近づけた。
その瞬間に、またカメラマンがレンズを向ける。

「ね、泳いでるところも撮れるかな。出来れば動画で。ネットにも載せたいから。いいですか?」

 僕は許可を出していないのに、先生が「いいですよ」と答えたので、泳ぐことになってしまった。
プールへ向かう僕に、岸田くんは耳打ちした。

「いいか。元人魚ってバレるから、潜水で泳ぐな。息継ぎもちゃんとして、ゆっくりな」
「バレる?」
「バレる」

 とはいうものの、先生に泳げといわれたら泳ぐしかない。
どうしよう。
ゆっくりって、なにを? 
元人魚って……。
僕はまだ人間になれていないから、じゃあ絶対にバレないようにしないと。
そうだ。誰かのマネをしよう。
それならきっと、人間だと思ってくれる。

 僕はゆっくりとプールサイドを歩く。
泳いでいた水泳部のみんなは、水から引き上げさせられていた。

 飛び込み台の上に立った僕を、またカメラのレンズから見ている。
そろそろそれはやめてほしいな。
そう思っていたら、岸田くんと目が合った。
彼はこくりと一つ大きくうなずく。
そうだ。
岸田くんの泳ぎ方の真似をしよう。
それならきっと、間違いないしカッコいい。

 いずみがタイムを計測する。
ほとんど指導になんて来たことのないコーチが、スタートのスイッチを手にする。
大きなカメラのレンズが、僕の体を捕らえた。

「ピッ!」

 合図と共に飛び込む。100mの自由形。3回ターンのやつ。
岸田くんの泳ぎは速いけど、ちょっとはゆっくりにした方がいいのかな。
だけど、どれくらいでスピードを調節したらいいのか分からない。
1回目のターン。
最初の25mは、そんなことを考えていたら、息継ぎするの忘れてた。
折り返したところで思い出して、息継ぎを一回。
25mの壁は短すぎて、すぐにターン。
どうしよう。
もう最後の25mだ。
思い出してもう一回息継ぎ。
最後の10mはゆっくり泳いで、壁に手をついた。

 顔を上げ、立ち上がる。
いずみはタイマーを見つめたまま、じっと動かなかった。

「ねぇ、どうだった?」
「49秒36……」

 コーチの目はまん丸くなっていて、岸田くんは「ウソだろ」とボソリとつぶやいた。
カメラを構えた記者とかいう人たちが、はしゃぎ出す。

「す、凄いじゃないですか! 非公式記録とはいえ、高校新記録ですよ!」

 こんなこと、早く終わってほしい。
プールサイドに、いつも僕のために定位置に置かれてあるビート板も、片付けられている。
奏と目が合った瞬間、彼女はうれしそうに、だけどちょっと困ったみたいに、にっこりと微笑んだ。

「いやー! 次の大会が楽しみですね。ここでそれを見せるってことは、やっぱり次は自由形で挑戦するの?」

 奏のそばに行きたくて、水から上がる。
記者の人が手を差し出してきたけど、そんなことより奏の方が大事。
コンクリートの焼け付くような足裏の痛みを我慢しながら、髪からポタポタ水を垂らした僕は、彼女の前に立った。

「どうだった?」
「うん。カッコよかったよ」

 彼女から渡されたタオルを受け取る。

「なに? どうしたの? なんでそんな困ったような顔してるの?」
「ううん。そんなんじゃなくて……」
「なんか、気に障った?」
「違う! そんなことはないから」

 僕の質問に、奏はそうやって言ってくれるのに、どうして魔法は解けない? 
記者の人たちが、また僕にカメラを向けた。

「あ。カノジョさんですか? 一緒に一枚どう?」
「いや、私は別に……」

 奏は嫌がったけど、記者さんは「まぁまぁ」とか言っている。
先生が「撮ってもらっとけ」と言って笑った。
「ほらほら」と手をひらひらさせ、カメラの人も待っている。
先生の言うことは……。きく。

「ん」

 僕は彼女の肩を抱き寄せる。
その瞬間、奏は凄く驚いた顔をしていたけど、結局カメラに向かって微笑んだ。

「次の自由形、楽しみにしてるね!」

 記者とかいう人たちは、やっと先生と一緒に帰っていく。
僕は肌が焼けるのと足の裏が熱いので、早く水に浸かってビート板に浮いていたい。
一連の騒動が終わって、お気に入りのビート板を探す僕の前に、岸田くんが立ち塞がった。

「宮野。お前なんでクロール泳いだんだよ。」
「だって、岸田くんがゆっくりって……」
「それで、俺の泳ぎをマネしたって? あぁ、どうせ俺は遅いよ。ゆっくりだもんな」

 岸田くんは怒っていた。
今まで見たこともないくらい、真剣に真面目に、本当に腹を立てている。
僕にとって岸田くんは、いつも正しくて間違えない人だった。

「お前はバタフライだっただろ。次はクロールに出る気か? だからそれを俺に譲れって?」
「違う。そんなこと思ってない。僕は泳ぐのはなんだっていい」
「は! そうだよな。お前一人が全種目泳いだ方が、いいに決まってる」

 彼は被っていたスイムキャップを取ると、足元に叩きつけた。

「やってらんねー。今日は俺、帰るわ」

 岸田くんが怒っている。
こんなにも怒った岸田くんを見たことない。

「待って。僕は岸田くんと同じようにすれば、間違えないと思ったんだ。もうバタフライ以外は泳がない」
「うるせーよ。誰がそんなこと言えんだよ。言えねぇだろ。あんなの見せられてさ」

 岸田くんが怒っている。僕は間違えたんだ。

「もう勝手にしろ」

 彼が更衣室に引き上げてゆく。
追いかけようとした僕を引き留めたのは、奏だった。
彼女は僕を見上げると、首を横に振る。
そのまま彼女の視線は、岸田くんの背中を追いかける。
僕の代わりに、奏が行くの? 
岸田くんのところへ?

「待って」

 彼に投げ捨てられたスイムキャップを、奏が拾い上げた。
彼を追いかけ走り出そうとする彼女の腕を、反射的に掴んでしまう。
だけどそれを、彼女は振り払った。

「ごめん、後で!」
「かなで!」
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