新そよ風に乗って 〜時の扉〜

後悔

「これ、十四時からの会議で使うから、至急、六部ずつコピーして、クリップ留めも頼む」
「はい。六部ずつですね」
壁に掛けられている何のデコレーションも施されていない時計を見ると、十三時三十六分。急がなきゃ。引き出しからコピーカードを出して、コピー機のある場所へと席を立った。恐らく、少し前の私だったら、十四時まで出来るかどうかと躊躇して、直ぐに行動にも移せずにいただろう。けれど、今は違う。違うというよりも、自分自身の考え方が変わったという方が正確かもしれない。
『明日を生きるために、限られているかもしれない会社の運命にその力を貸してくれ』
高橋さんに言われた言葉を噛みしめれば、噛みしめるほど、不思議とパワーが湧いてくる。些細なことに左右されてしまう自分の不甲斐なさを改めて実感させられた、あのイベント。自分は今まで何をしてきたのだろうと、後悔でもなく、反省でもない。ただ何もしないまま、生きてきたことが哀しかった。
生きている命、生かされている命。生きていると思えるのなら、活きる命に変える努力を。生かされている命だと思えるのなら、往く命にする努力を。
往く命にする……。つまり会社のためになる努力をする。それは、すなわち自分のためになって……。
「コピー、まだかしら? 待ち疲れたんだけど」
この声は、黒沢さん。
「すみません。もう直ぐ終わりますので」
少し前の私だったら、これ以上、言われたくなくて、お先にどうぞと言っていただろう。でも今は、言われたからといって、自分も仕事をしているんだという自覚をもって望んでいるので踏み留まれる。
「はあ……。何でも時間掛かる人は、本当に厄介よね」
だけど、そう言い聞かせてはいても、やはりズキズキと突き刺さる言葉が矢継ぎ早に続くと堪えてしまう。グッと堪えて……。あと、少しだ。
「ねえ、コピー、まだ?」
もう一人、黒沢さんと仲の良い人が来てしまった。あと十枚、六セットだから六十枚……。
「まだよ。先を譲るってことが出来ない新人だから」
「気が利かないわよね」
「自覚なさ過ぎ。他人の迷惑、顧みず」
容赦ない言葉を、聞き流そうとしても聞き流せない。頑張れ、私。
「順番ってものがあることぐらい、幼稚園児でもわかりますよね?」
えっ……誰?
その声に振り返ると、一番後ろに並んでいる見たことない人が、少し列をずれて腰に手を当てながら黒沢さんを見ていた。
「貴女、何処の人?」
すかさず、黒沢さんが噂の黒沢さん式身分聴取なるものをしている。黒沢さんの下から上へと見下すように相手を見ていく視線は本当に怖いし嫌な感じだ。
「さっきから聞いてると、後から来たのに急かしてるだけで、それ、余計時間を掛けさせてるだけなんじゃないですか? 物事には、規則と秩序と順番ってものがあるんですから、それが守れないんだったら社会人として恥ずかしいですよね。あっ、今の場合は順番に値するんですけどね。念のため」
この人は、いったい誰なんだろう?
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