あなたの側にいられたら、それだけで

 ここではない、どこかの世界線。
 まだ魔法使いと呼ばれた人間が存在していた頃の話である。

 誰かに呼ばれた気がして、暗闇から浮上した。
なんとか瞼をこじ開ける。刺すように光が一気に飛び込んできて、息を吐いた。体中を襲うのは重苦しい倦怠感で、指の一本も思い通りに動かせない。鈍痛が頭を襲った。
 近くで誰かが音を立てて息を飲み、がたっと何か大きな物音がした。

「アデル、気づいたのか?」

 意気込んだように、呟かれた。
 なんとか声の主を見ようと試みるが、残念ながら身体はぴくりとも動かない。問いかけようとしたが最初はひゅーひゅーと呼吸が漏れるばかりだった。少しだけ喉に力を込めると、ようやく微かに声が出た。

「……だ……れ……?」

 がさがさの声はしわがれていて聞き苦しかったろうに、迷うことなく返事が戻ってくる。

「エリオットだ」

 エリオット。
 名乗られても、思い当たる節がない。ぼんやりとその名前を考えていると、そこではたと気づいた。

(自分の名前も、わからない……ア、デル……?)

 アデル、というのが自分の名前だろうか。
 視界が暗くなり、若い男が自分を覗き込んでいることに気づいた。

「ああ、アデル、よかった……!」

 涙を浮かべている彼は、とても端正な顔だちだった。プラチナブロンドの短めの髪に、綺麗な蒼い瞳。すっと通った鼻筋に、意志の強そうな口元。体つきはそこまで大柄という感じはしないが、それでもしなやかそうな印象を与える男である。

「ああ、意識が戻ってよかった。起き上がれるか?」

 無意識に手を差し伸べようとして、あまりの痛みに躊躇った。

「体中が痛い。バラバラになりそう」
「無理をするな。アデル、喉は乾いてるか? 水の準備をしよう――」
「わ、たし……アデルっていう名前なの……?」

 アデルの呟きに、エリエットが黙り込んだ。

「おもい、だせない……なにも……」

 自分のことを思い出そうとすると、頭痛が一際強くなった。エリオットが黙ったまま、そっと彼女の頭を撫でた。まるでアデルを頭痛が襲っていることを知っているかのように。彼の手つきは優しく、少しだけ痛みが和らぐ気がした。

「医者を呼んでくる。もし辛かったら、寝ていろ」

 そう言うなり、エリオットは静かに部屋を出ていった。

 
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