紫の香りに愛されて ゆきずりのコンサルタントに依頼したのは溺愛案件なんかじゃなかったんですけど

   ◇

 情けないことに、去年、大人になった紗弥花と再会した時、それが遠い昔に出会っていた彼女だったことに俺は全く気づいていなかった。
 彼女と一夜を過ごし、庭園で絵を描いていたという思い出話を聞かされて、ようやく記憶がよみがえってきたのだった。
 だが、俺は決して恩人の孫娘だからという理由で、紗弥花を助けたわけじゃない。
 ひたむきで純粋な彼女の心が冷徹な俺を変えたのだ。
 それが愛だというのなら、俺は喜んで認めよう。
 ――案外、ロマンティストなんだな、俺は。
 目を開けると、お墓に向かって紗弥花はまだ手を合わせていた。
 邪魔にならないようにスマホを取り出し時間を見る。
 南田さんからもらった昭一郎さんの子守り写真が俺のロック画面だ。
 ――俺はお眼鏡にかないましたかね、昭一郎さん。
 と、目を開けた紗弥花が隣で微笑んでいた。
「どうした?」
「なんだか今、ふと、おじいちゃんの笑顔が思い浮かんだんです」
「そうか」
 見上げると、澄み渡る六月の青空が目にしみるほどまぶしかった。
 木々の向こうに東京タワーがそびえている。
「なあ、紗弥花」
「はい」
「あれに登ったことあるか」
「いえ、そういえば、ないですね。スカイツリーはありますけど」
「歩いて行ってみないか」
「今からですか? でも、車を待たせてますよ」
「いいから」と、愛する妻の肩を抱く。「せっかくの休日だ。つきあえよ」
「はい」と、紗弥花も空を見上げた。「こんなに天気が良いのも久しぶりですもんね」
 二人並んで歩き出す。
 愛しい妻の笑顔が今の俺の宝物だ。
 紗弥花が鼻を突き出して風の香りをかいでいる。
「どうした?」
「どこかでラベンダーが咲いてるのかも」
「どこかのお墓のお供え物かもな」
「でも、見当たりませんね」
「ここで咲いてるんだろ」と、俺は自分の胸を親指で指した。
 くすくすと妻が笑い出す。
「案外、ロマンティストなんですよね」
「知らなかったのか。俺を誰だと思ってる?」
「ええと」と、妻が腕に絡みついて俺を見上げた。「私の大事な旦那様?」
 ――ああ、そうだよ。
 愛してるよ、紗弥花。
「え? なんか言いましたか?」
「べつに、何も」
「えぇ、もう一度言ってくださいよ」
「今日の夕飯は酢豚にしようって言ったんだよ」
「あ、いいですね。パイナップルはどうしますか?」
「ん? 入れた方がいいか?」
「ええとね、どうしようかな……」
 陽気な妻が俺の腕を離して駆け出す。
「おい、待てよ」
「本当のことを言ってくれないから待ちません」
 ――なんだよ、バレバレかよ。
 すぐに捕まえてやるよ。
 俺が手を離すわけないだろ。
 ビルの谷間に俺たちの笑い声が響く。
 坂の上にそびえる東京タワーを目指しながら、俺たちは夢中になって追いかけっこを楽しんでいた。

     (完)
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