紫の香りに愛されて ゆきずりのコンサルタントに依頼したのは溺愛案件なんかじゃなかったんですけど
 ギリシャ彫刻が吹き替えでしゃべっているように男が私に告げる。
「どうぞ。降りてください」
 だめ、まだだめ。
 ここで終わるわけにはいかないんだから。
 とっさに私の口から出任せがこぼれ出た。
「く、久利生さんは経営コンサルタントなんですから、ビジネスの話なら聞いてくれますよね」
「ですから、そのビジネスとは?」
「お金を出してください。薔薇園に投資してほしいんです。今の状態では無理なのは分かります。だけど、なんとか存続させる方法を考えてほしいんです」
 言えたのはそんなことだけだった。
 こんなのはさっき会議室で散々鼻で笑われたことの繰り返しでしかない。
 でも、久利生さんの返事は思いがけず肯定的なものだった。
「なるほど、話を聞きましょうか」
「いいんですか?」
「ビジネスでしょう?」と、彼はドアミラーを見ながら車を発進させた。「それが私の仕事ですから。ただ、この件は真宮家や一橋家に同意をもらっているんですか?」
「いいえ」
「あなた自身の案件ですね」
「はい」
「ならば、顧問料はあなたからもらいますよ」
「分かりました」
 と、答えたものの、私個人のお金などない。
 クレジットカードは父親名義の家族会員でどこでいくら使ったかは筒抜けだし、現金は一円も持っていない。
 私は一人で電車にすら乗れないのだ。
「あなたはさっき、お金を出してくれと言いましたよね」
 久利生さんはあくまでも冷静にビジネスとして会話を進める。
「はい」
 わたしはうなずいた。
「出資を募るのは難しいでしょうね。そうなると融資ですが、何か担保はあるんですか?」
 そんなもの、あるわけがない。
 彼もそうやって私の話を理詰めであしらおうというのだろう。
「あ、あの……」
「なんですか?」
 曖昧な返事に彼はいらだちを隠さない。
 ギリシャの大理石像のように冷徹だった男に隙が見えた。
 突破口が開いたような気がした。
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