転生織姫の初恋

転生(堕天)


 チョークが黒板を叩く音が響く教室。狭い空間に所狭しと机が並び、みな真面目な顔で教卓の教師を見つめている。その中にとびきり美しい女子高生がいた。場所は窓際の一番後ろの席。開け放たれた窓から入り込む風が、時折彼女の長い黒髪を撫でていく。

 彼女の名前は巡屋(めぐりや)織姫(おりひめ)。天界で彦星が愛してやまなかった織姫その人だ。転生した織姫は、海辺の街の女子高生になっていた。
 人間に生まれ変わっても天界で唯一無二と言われた美しい容姿は健在で、学校でも一番の美少女と言われているらしい。ただし、曰く付きだが。

「はーい、じゃあ教科書開いてー。えーと三十(ページ)の四行目から。今日は巡屋、読んで」
「信長が足利氏を討ったことにより、室町幕府は……」

 織姫は声まで美しく、まるで川のせせらぎのような、夜の波の音のような、小鳥のような声を響かせ、かつての凄惨なできごとを歌うかのように紡いでいく。

 そんな織姫を、廊下からこっそりと覗く男がいた。
 彦星だ。彦星は人間界に降り立った後、カササギの導きですぐに織姫を見つけた。織姫の通う学校の養護教諭天月(あまつき)彦星(ひこぼし)と名乗り、彼女に接触するタイミングを図っていたのだ。

「さすが織姫です……羽衣(はごろも)をまとっていなくても、実に美しいです」
 無心に織姫の美しい横顔を見つめていると、突然声をかけられた。
「あれ? 天月先生、こんなところでなにしてるんです?」

 国語教師の梁瀬(やなせ)みきと数学教師の羽咲(うさき)萌子(もえこ)だった。梁瀬はスーツをきっちりと着込み、羽咲はスーツの上から白衣を羽織っている。
 二人とも、手には教材とバインダーを持っていた。
「あ、梁瀬先生と羽咲先生。これから授業ですか?」
「いえ。次に使う資料を取りに国語準備室へ。羽咲先生はまだ新任なので、国語準備室を見たいの言うので連れてきました。……先生こそ、三年の校舎にいるなんて珍しいですね」
「見回りをしてたんですが、崎田(さきた)先生の歴史のうんちくが面白くて、つい」
 崎田とは、織姫のクラスの歴史の授業を担当している社会科教師だ。
 織姫を覗きに来て、そのままその横顔に見惚れていたとは口が裂けても言えない。彦星は人間界にきて、取り繕うということを学んだ。
 梁瀬と羽咲は彦星の言い訳をあっさりと信じ、苦笑した。
「たしかに、あの人は歴史マニアですからね。ね、羽咲先生」
「そうなんですね……」
 羽咲はちらりと彦星を見つめる。
「ん? どうかしました? 羽咲先生」
 彦星が首を傾げ訊ねると、羽咲は頬を染めて目を泳がせた。
「あ、いえ……その、天月先生は歴史がお好きなんですね」
 梁瀬が三年四組を覗きながら言う。
「そういえば知ってます? あの窓際の一番後ろの席の子」
「え?」
 ドキリと彦星の胸が弾む。羽咲は梁瀬の視線を追い、織姫を見た。
「あぁ……あの子」
「彼女、名前が織姫って言うんですよ。天月先生の下の名前って、たしか彦星さんでしたよね? 同じ学校に織姫と彦星がいるなんて運命みたいだなーって思ってたんです」
「あ……そ、そうなんですか」
「とはいっても彼女はいわく付きだし、そもそも生徒だから手は出しちゃダメですよ?」
「いわく付き?」
「男好きなんだそうです。私もからかわれました。先生彼氏いるのー? って。まったく最近の子はませてて困ります」と、羽咲は織姫のモノマネをしながら苦笑した。
「まぁ天月先生なら彼女には困らなそうだし、そんな心配はなさそうですけどね。じゃ、私たちは急ぐので。行くよ、羽咲」
「ハイ……」
 羽咲は彦星に頭を下げると、梁瀬の背中を追いかけた。
 彦星は滲み出す冷や汗をなんとか誤魔化しながら笑顔を取り繕い、保健室に戻るのだった。
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