新そよ風に乗って 〜焦心〜
「は、はい」
先月は出張もあったし、高橋さんは忙しかったからそんな暇もなかったはず。
でも、良かった。遠藤主任とのこと、バレてなかったみたいだ。
「悪いな。急で」
「そんな……とんでもないです」
考課表の記入はいつも嫌だけど、今日だけは何故か考課表を見せられてホッとしてしまった。
「それじゃ、よろしく」
「はい」
「ああ。あと、異動の希望はあるか?」
エッ……。
「たとえば、人事や総務に異動したいという希望があれば、遠慮なく言って欲しい。ただ、それで希望が通るというわけではないが」
人事や総務……。遠藤主任の居る部署なんか。
「ないです! そんな異動希望なんて、ないですから」
ハッ……。
思わず、大きな声を出してしまっていた。
「矢島さん?」
「す、すみません」
「どうかしたのか?」
面接を終わりにしようとファイルを纏めていた高橋さんが、手を止めてこちらを見た。
「い、いえ、何でもないです。大きな声を出してしまって、すみません」
「……」
大きな声を出したのは、良くなかった。高橋さんは、不審に思ったかもしれない。
「お、お忙しいのに、お時間取らせてしまって……。でも、何でもないですから」
「そうか。それならいい」
高橋さんは、ファイルを持って立ち上がった。
「あとは、中原か……。悪いが、中原に此処に来るように伝えてくれるか?」
「あっ、はい。ありがとうございました。失礼し……」
「ああ。それから」
エッ……。
会議室から出ようとして、ドアに近づいた私を高橋さんが呼び止めた。
「は、はい」
まだ、何かあるの?
「忙しいのは、誰しも同じだ。今回、面接を忘れたのは、俺が悪い。だが、時間は使うものじゃない。作るものだ。限られた時間をどれだけ、どのように有効活用するか。ただ漠然と忙しさにかまけて目先のことだけに追われるようでは、時間は有効には使えない。故に、時間を作れないということだ。忙しいから出来ない等、多忙なことを理由付けにすることはあってはならないし、ヒューマンエラーはつきものでも、忙しさを楯に逃げの口上にすることは特に管理職にとってあるまじき行為」
高橋さん……。
「だから、言いたいことは幾らでも聞くから、遠慮なく言ってくれ」
「はい。ありがとうございます」
高橋さんは、最後に微笑みながら言ってくれた。
時間は使うものじゃなくて、作るもの……。
心にズッシリくる、高橋さんの言葉だった。
「中原さん。高橋さんが会議室に来て下さいって、おっしゃってます」
「あっ、分かった。ありがとう。そしたら、矢島さん。ちょっと会議室に行ってくるから1人になっちゃうけど、何かあったら呼んでね」
「はい。行ってらっしゃい」
デスクに1人になってしまったが、それよりもさっき高橋さんに呼ばれた時の緊張感から解放されて、どっと疲れが出たのか半ば放心状態で席に着いた。
それから電話応対をしながら書類の整理をしていると、急に後ろから肩を叩かれた。
「さっきは、どーも」
嘘。
ちょうど電話応対をしながら、高橋さん宛の伝言を書いていたので電話に集中していたせいか、遠藤主任が近づいてきていることすら気づかなかった。
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