温室の魔女は、今日も僕をアフタヌーンティーに誘う〜今宵、因縁の君と甘いワルツを〜

甘くて苦い彼女


 僕には好きな人がいる。

 その人は魔女で、まるで宝石のように美しくて可愛くて、甘いものがとびきり好きで、それから……ちょっとだけ残酷な人だ。

 雫さんは願いごとを叶える仕事をしている。依頼人の願いを叶える代わりに、雫さんは『対価』をもらう。

「……今日は、フルーツタルト」

 バスケットの中に収まるフルーツタルトを見て、僕は唇をきゅっと結ぶ。

 雫さん、怒っているだろうか。この一週間、温室に行かなかったこと。
 それとも僕のことなんて忘れて、こまると三日月さんと楽しくティータイムでもしてたのかな。

 彼女にとって、僕なんてなんでもないんだろうし。そう思うと、胸がちくりとした。

「……やっぱり迷惑かな」
 僕は暗い気持ちでタルトを見る。

「……いや!」

 僕は頭を切り替えるように首を振る。

 今さらだ。むしろ僕のことを気にしてないなら、いつも通り会いに行けばいい。

 僕はバスケットを持って温室へ向かう。

 大きな三階建ての温室の入口を抜けて、しばらく大きな葉をつけた植物たちを観覧しながら、植物の影に隠れるようにひっそりとある螺旋階段を上がっていく。

 そして行き着くのは、有毒植物のコーナー。ここにはあまり人は来ない。入り組んでいてわかりにくい場所にあるし、少し不気味な雰囲気だからだ。

 そして、そのさらに奥。そこには、ひっそりと小さな扉がある。
 僕は屈むようにして、その身を扉の中へ放り出した。

 そして――ずでん。

 バスケットの中身が崩れないように気をつけながら立ち上がる。

 紫色の朝焼けの空が、珍しい植物たちを美しく彩っている。ここは、秘密の温室。

 久しぶりのこの空間。瑞々しい植物の香りが胸いっぱいに広がる。
 さわさわと心地よい音が僕の聴覚を支配していた、そのとき。

「えっ……」

 小さく、驚いたような声がした。

 振り向くと、そこには僕の大好きな人がいる。
「雫さん」
 雫さんは僕を見て、驚いたように固まっていた。

「ムギちゃん……どうして」

 なんともぎこちない空気が僕と雫さんを包む。

「うん……その、フルーツタルトがあったから」

 少しだけ気まずいけれど、でも雫さんが怒っていなくてとりあえず良かった。

 すると、雫さんは勢いよく車椅子を動かし、魔法で飛び上がった。
「わっ!」
 そして、僕に抱きついた。
「ムギちゃんだ……」
 慌てて受け止めると、僕の頬に雫さんの髪が触れ、彼女のシャンプーの香りが濃くなった。雫さんもまた首元に顔を埋めて、僕のにおいを確かめているようだった。

 ……嬉しいけど、恥ずかしいしくすぐったい。
 足が不自由な彼女は、全体重を僕に預けてくる。それがどうしようもなく嬉しくて、僕はその小さな体を抱き締めた。

「……もう、来てくれないと思った」
 小さく震えた甘い蜂蜜のような声が僕の耳元で、まるで媚薬のように響く。

「……そんなわけないじゃん」

 彼女の細く白い手が、僕の首に絡みつく。
「ムギちゃんのにおい、好き」
 雫さんの甘い声と体温に、胸がギュッと絞られるように痛む。
「んー……」
 雫さんは甘えたい気分なのか、僕から離れようとしない。
「雫さん……?」
 あぁ……今、雫さんはどんな顔をしているのだろう。よく見たいけど、覗いたらきっと嫌がられるんだろうなぁ。
 この手の温もりが嬉し過ぎて、僕は幸せを噛み締めた。

「……だって、ずっと来てくれなかったから」

 寂しかったアピールですか。可愛過ぎませんか、うちの魔女。もう心臓が破裂寸前なんですけど。
「そ……れは、その、ちょっと忙しくて」
 思わず声を上ずらせ、僕は雫さんから目を逸らした。

「忙しいってなにさ。今は夏休みなのに」
「うっ……」
 雫さんは完全にムッとしたように、僕の頬を両手で挟み、無理やり視線を合わせる。

 ちっ……近い近い近い! 
 雫さんの吐息が唇に触れて、僕はもうのぼせて目が回りそうだ。
「しっ……雫さん」
 びっくりするほどの近距離で、雫さんと視線が絡み合った。

 長い睫毛に白い肌、それから淡い桃色のしっとりとした唇。彼女のすべてが僕の心をかき乱す。

「ち……近いよ」
 けれど、両足で立てない彼女の手を振り払うことはできない。車椅子は僕たちの横に転がっているし、バスケットも……。

「あっ! タルト!」

 雫さんは小首を傾げ、僕の視線を追った。そこには、ひっくり返ったバスケットから覗く、無惨な形となってしまったフルーツタルトがある。

「がーん」
 雫さんは僕の腕の中で青ざめる。
 しかし、「だ、大丈夫! 私に任せて」と、軽快に指を鳴らした。

 あっという間に車椅子は僕の近くに、そして、粉々に砕けたタルトは元通りになってバスケットに収まった。
 僕はほっと胸を撫で下ろす。

「ねね、ムギちゃん。ティータイム、しよ?」
「うん」

 僕は雫さんを優しく抱き上げると、車椅子に下ろしてそのまま樹洞の中にあるカフェテーブルへ押していく。

 久しぶりの雫さんとのティータイム。
 僕は全力で楽しんだ。
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