温室の魔女は、今日も僕をアフタヌーンティーに誘う〜今宵、因縁の君と甘いワルツを〜

はじめての旅行


 きっと僕は、彼女のどんな一面を見たとしても、彼女を嫌いにはなれないのだろう。

 楽しそうにフルーツタルトをつつく雫さんに見惚れつつ、僕は珈琲を口に含む。

「ねぇ、ムギちゃん。私、ムギちゃんがもうここに来てくれないんじゃないかって怖かったんだよ」
 と、拗ねたように言う雫さん。
 あれ、おかしい。さっき機嫌治ったと思ったのにな。

「……だから、ごめんって。ちょっと忙しかったんだよ」
「忙しいからってほっとくなんて、そういう人はすぐ女の子にふられちゃうんだよ。私、怒ってるんだからね」

 雫さんはプクッと頬を膨らませ、口を尖らせている。

「もう、そんな顔はしないで。だからほら、タルト持ってきたんだよ。これで許してよ」
「ダーメ」
「えぇ……」

 グズり出した雫さんに、僕は思わず口元がにやけそうになるのを堪えながら考える。

 一体どうしたものか。

「来週の水曜日、鍵祭区(かぎまつりく)に連れてって」
「鍵祭区?」

 鍵祭区とは、この唐草区から四百キロほど離れた場所にある区だ。

 行くには飛行機を使う必要がある。かなり遠い場所だし、日帰りで行ける場所ではない。

「実は、前に依頼を受けた子から高校野球大会のチケットが送られてきたの。ほらこれ、皐月ちゃんから」
 雫さんはすっと手紙を僕に差し出す。中にはお礼の言葉と、観戦チケットが二枚。

「……僕と行ってくれるってこと?」
「うん。チケット、ちゃんと二枚入ってるの。私とムギちゃんの分」
「……でも鍵祭区だと、日帰りじゃあいけないよ?」
「うん! だからお泊まりだね! 宿は高級なところをもうとってあるよ!」
「……お、お泊まり……」

 雫さんと? 二人で?
 その言葉に、僕は耳まで赤く染める。

「……おや? ムギちゃん、変なこと考えたでしょ? 言っておきますけどね、部屋はもちろん別ですよ」
 ジトッとした雫さんの視線に、僕は慌てて頷いた。

「わわ、分かってるよ……」
 僕は苦笑して、誤魔化すように珈琲を飲み込んだ。

 かくして僕たちは翌週の水曜日、鍵祭区へやってきた。

 鍵祭区は、全国高校野球大会の聖地だ。
 空港から降りると、いたるところに大会のロゴが飾られている。

 空港の中には、大きなグッズ売り場があった。若い女性でも食いつきそうな可愛らしいロゴ付きのキャップやリストバンド、タオルなどが所狭しと陳列されている。

「ムギちゃーん。見てみて、グッズ! たくさんあるよー」

 雫さんは一泊二日の旅行ということで気分が高揚しているのか、早速買ったグッズを着て野球ガールのような格好をしている。

「おっ、そのパーカー可愛いじゃん。さすが、雫さんはなんでも似合いますこと」
「でしょ? ふふっ。ねぇ、ムギちゃんもお揃いで買おーよ」

 犯罪級に可愛いその姿を、僕は目に焼き付けるように見つめる。できることなら写真撮りたいけど、また雫さんにあの目をされたら嫌だから我慢しておこう。

「あぁいや、僕は……」
「お姉さん、これお願いしまーす」

 断るより先に、雫さんはさっさとお揃いでサイズ違いのパーカーを店員に渡している。

「はい! これ着て一緒に応援しよ!」
「うん……」

 言われるまま、僕は高校野球のデフォルメされたキャラクターのロゴ付きのパーカーに袖を通す。

「よし! まずはどこ行く?」
「お昼にしよう。この地区はカレーが有名らしくて、実はもう予約してあるんだけど……どう?」
「カレー!?」
 すぐに雫さんの瞳が輝き出す。

「夜はきっと豪華な海鮮料理が出るだろうし、被らない無難なものがいいかなと思って」
「試合は二時からだったよね」と、雫さんは懐中時計を見て言った。
「うん。それまでカレー食べながらゆっくりしてよう」

 こうして僕らはカレー屋で試合開始時間まで時間を潰し、鍵祭大球場で試合観戦をしたのだった。
 皐月さんの高校は無事二回戦進出を決め、大盛り上がりの中、幕を閉じた。

 試合を観戦している間、僕は雫さんの横顔を何度も盗み見た。

 雫さんはすごく楽しそうにしていて、こうやっていれば、僕たちはただのカップルに見えるのかな、なんて妄想してみたりして。

「試合、すごかったね」

「ほんとー。私、野球のルールなんてよくわからないけど、皐月ちゃんの好きな人はどの子かなーって探るのがすごく楽しかった! 私はサヨナラホームラン打ったバッターだと思ったね! だって皐月ちゃん、あの子が出てたときすごい応援してたもん! ね、ムギちゃん」

 雫さんは、いたずらっ子のような笑みを浮かべて言った。
 まったく、この人は一体なにを見ていたんだか。

「……それ、いろいろと楽しみ方間違ってるよ」

 あんなに楽しそうにしていたくせに。

 思わずツッコむと、雫さんは可愛らしく真っ赤な舌をちろりと見せた。
 雫さんたら、舌まで可愛いのか、もう。

「えへ。だって、招待されて行かないのも申し訳ないじゃん?」
「そりゃそうだけど。まったく雫さんって人は」
「えへへっ……あ、ねえ、この後はもう宿?」
「うん。荷物をとりあえず置こうと思ってたんだけど」
「じゃあじゃあ、荷物置いたら海に行こうよ!」
「えっ海?」

 僕は思わず聞き返す。

「ダメだった?」
 僕の反応に、途端にしょぼんとする雫さん。

「だ、ダメじゃないよ、うん、行こう!」
「うん!」
 雫さんは弾けるような笑顔で頷いた。
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