温室の魔女は、今日も僕をアフタヌーンティーに誘う〜今宵、因縁の君と甘いワルツを〜

綺麗な花には毒がある


 ――ハッとして、瞳を瞬かせる。

 そこは、温室だった。僕は秘密の温室の樹洞の前で、立ち尽くしていた。

「あ……あれ?」

 僕は、立ったまま夢を見ていたらしい。
 白昼夢……だろうか。

 目の前には、純白の車椅子に収まって眠る雫さんがいた。
 すぅすぅと、可愛らしい息遣いが聞こえる。
 慎ましやかな胸が上下していることを確認して、僕は胸を撫で下ろした。

「……ムギ……ちゃん」

 雫さんの口が動く。瞳は閉じられたまま、雫さんが僕を呼んだ。

 僕はぴくりと肩を揺らし、息を呑む。そんな僕の様子に気が付いたのか、雫さんは息を吐くように笑った。

「……私ね、ムギちゃんに殺される夢を見たよ。花の毒で、殺される夢」

 雫さんはそう言って、瞳を開く。悲しげに揺れる藍色の瞳には、僕が映っていた。

 雫さんの漆黒の髪が、さらりと流れるように肩から落ちた。シャンプーの香りが鼻を掠め、僕の心をさらに動揺させていく。

「僕が、雫さんを……殺す、夢?」

 胸がひんやりと冷たくなっていく。動悸が高まり、全身から嫌な汗が吹き出した。

「……でも、ムギちゃんに殺されるなら、悪くないかもね」

 喉で空気が詰まり、上手く息ができない。僕は目を見開いたまま、雫さんをただ見遣る。
「ずっとムギちゃんの夢の中で暮らせそうだから」と。
「……」
 そんな彼女に、僕はなにも言葉を返せない。
「そんなに驚く?」と、雫さんは僕を見つめたまま瞳を細めた。

「私ね、ずっとわかってたよ。きっと、思い出したらムギちゃんは私を恨むんだろうなって思ってた」

 雫さんはただの世間話でもするように穏やかな口調で言う。

「私のこと、最初から知ってたの?」

 僕は、ようやくいうことをきき始めた身体を動かし、首を強く横に振った。

「……知らなかった。……キスしたとき、初めて兄のこと……魔女の君のこと、思い出した」
「…………そっか」

 雫さんはゆっくりと目を伏せ、「じゃあ……キスしなければよかったな。そうすれば、ずっと両想いのままだったのに」と呟く。

 そして目を開くと、その藍色の瞳は僕を見上げた。風が葉を揺らし、蝶が舞う。
「でも、ダメか。両想いになったら、どうしたって触れ合っちゃうもんね」

 ざぁっと風が葉を揺らす。しかしそれはすぐに止み、静寂が波のように押し寄せた。
 音のない空間で、僕たちは見つめ合う。

「雫さんは、僕のこと知ってたんだね」
「うん。……ごめん」

 雫さんは小さく笑った。

「なんで謝るの」
 僕は唇を噛む。

「ムギちゃんを騙してたから」
「兄が死んだのは……あの街から人が……タワーが消えたのは、全部雫さんがしたことなの?」

 否定してほしい。そう願って、僕は雫さんを見つめた。

 ……けれど。
「そうだよ」

 雫さんは静かに頷いた。

「兄さんは、なにを願ったの」
「他言無用。それは、いくらムギちゃんでも言えない」

 サラリと言われたひと言に、僕は怒りも湧かず、ただただ虚しさだけが溢れていく。

「どうして……? 君はずっと僕を騙して、なにをしようとしてたの? どうして僕をここに入れたの?」

 しかし、僕の問いに雫さんはなにも答えてくれなかった。

「……毒じゃ、私を殺せないよ」
「え?」
「私は魔女だから。私を殺したいなら、もっとちゃんと、念入りに調べないとダメだよ」

 雫さんはいつもと同じ笑顔を浮かべて、夢の中で彼女を殺した僕に説教を始めた。

「なに……言ってんの。そんなことしないよ」

 できるわけない。雫さんを殺すなんて。

 僕は呆然としながら、一生懸命否定した。けれど、雫さんはそんな僕をまるで無視して、軽やかに指を鳴らした。

 彼女の白い手のひらの上で星が瞬き、小さななにかが現れる。

「これ」

 雫さんは、もう見慣れた宝石の入った小瓶を出し、それを僕に差し出した。

「宝石?」

 小瓶の中には、エメラルドやガーネット、ルビーによく似た美しい宝石たちが、まるで子供の夢のように詰まっている。
 それは、雫さんがいつも紅茶に落として飲んでいるものだ。

「うん。これが私の命を繋ぐもの」
「命を繋ぐもの……?」
「そう。私はこの『対価』がないと生きられないの」
「…………だから、君はずっと依頼人から対価を?」

 雫さんは静かにこくりと頷いた。

「これを飲まなくなれば、私は死ぬ。でも、それ以外に私が死ぬことはないよ。たとえナイフで私をめった刺しにしても、火炙りにしても……首と体を切断したとしても、 私は死なない」

 雫さんは抑揚のない声で告げた。その瞳に光はなく、僕には彼女がどんな気持ちでそれを打ち明けたのか、よく分からなかった。

「あの日、私は君のお兄さんの依頼を受けた。私はちょうど体力が尽きて死にかけていたから、君のお兄さんの依頼はちょうどよくてね」

 雫さんはわざとらしく突き放すような言い方をして、口を噤んだ。

「どうぞ」
 雫さんは宝石を、僕に差し出した。

「な……に?」

 時が止まったかのように、風にそよいでいた植物たちが静まり返る。

「ムギちゃんにあげる。……代わりにといったらあれだけど。できたら……私が死ぬときまで……そのときまででいいから、お願い。私のそばにいてくれないかな?」

 僕は、自分の耳を疑う。

 この宝石は、彼女の命。つまり彼女の命は、僕の手の中……。

 君は、僕が本気で君を殺すと思っているの?
 こんなに愛しているのに。

 その事実がどうしようもなく悲しくて、僕は唇を震わせた。

「どうしてよ……」
「私はね、自分の命を繋ぐために、君のお兄さんを利用したの。対価がほしくて、君のお兄さんを騙して、命を奪った残忍な魔女だよ」

 雫さんは淡々と、氷のように冷たい表情で言った。

「嘘だよ……そんなの嘘だ」
「全部本当。でも……君が好きで、離れたくなくて、ずっと隠してた。ムギちゃん……ごめんね……」

 とうとう、僕の瞳から涙が零れ落ちる。
 こんな状況の告白にさえ、僕の胸は弾んでしまう。

「君の名前を聞いたとき、ああ、これは罰なんだって思った。君と出かけて、君があの穴を悲しそうに見ていたとき、私はいつかこの人に殺されるんだって確信した」

 涙を流す僕に、雫さんは切なげな笑顔を浮かべて続けた。

「ねえ、ムギちゃん。私の死を、見届けてよ。それで君の復讐は完成するよ。……私から解放されるよ」

 雫さんは、笑っていた。僕の大好きな花のような美しい笑顔で……。
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