温室の魔女は、今日も僕をアフタヌーンティーに誘う〜今宵、因縁の君と甘いワルツを〜

結衣との再会


 ――翌日の朝。僕は眠れぬ夜を一人きりで明かした後、外出許可をとって街へ出た。

 高層タワーがひしめく狭い街並みのあいだを、縫うように歩く。車や電車の喧騒が耳を掠め、どうしてかそれらは僕の心を掻き立てる。

 すれ違う人たちは皆、時間に追われるように急ぎ足だったり、音楽を聴きながらのんびりと歩いていたり。

 歩道の信号が、目の前で赤に変わった。
 僕はゆっくりと足を止める。

 背後で、高校生カップルの話し声が聞こえた。
 僕もこんな風に雫さんと愛を育めたらと、何度願ったか分からない。
 もう、叶わないことだとしても、愚かな僕はまだ心のどこかで願ってしまう。

 全部、全部嘘であればよかったのに。

 今でも雫さんへの気持ちは変わらない。どうしようもないほどに好きで仕方ない。

 喉になにかが詰まって、上手く息が吸えない。
 みぞおちがぐっと締め付けられる。

 僕の心情はこんなにもぐちゃぐちゃなのに、街の景色はなに一つ変わっていなくて、それが余計に僕の涙腺をつついてくる。

 信号が青に変わり、人の流れが動き出す。
 僕は押されるように一歩を踏み出した。

「――あれっ? 君、綿帽子君じゃない?」

 その声に、僕は立ち止まる。
 声をかけてきたのは、かつて雫さんが依頼を受けた、信濃(しなの)結衣(ゆい)さんだった。

「あ……どうも」
 ぺこりと頭を下げる。すると、結衣さんは僕の表情が暗いことに気が付いたのか、「……ね、ちょっと時間ある?」と僕をお茶に誘った。

 僕たちは以前依頼を受けたときと同じ海獣カフェに入った。
 結衣さんは僕には敬語を使わなかった。雫さんがいないからだろうか。

「なに頼む? ご馳走するよ。君たちにはお世話になったから」と、メニューを差し出してくる。

「いえ。僕はなにもしてませんし……あなたは対価を払って願いを叶えてもらったんだから、当然の権利です。感謝の必要なんて、どこにも」

 つい、本音が口をついた。

「驚いた。君って、意外とドライ?」
「……別に……」

 僕はサッと目を逸らす。

「英さんといるときとはえらい違いね」
 僕は言葉に詰まった。すると、結衣さんはふふっと笑った。
「感謝くらいさせてよ。私の人生を変えてもらったんだから」

 すごく清々しい顔をした結衣さんが不思議で、僕は思い切って訊ねた。

「……あの、今、幸せですか?」

 結衣さんは、迷いなくまっすぐに僕を見て、頷いた。

「幸せだよ。正直、余命宣告を受けたときはさ、選択肢がなかったの。死がチラつくと、選択肢っていきなり無くなるのね。だから死を目の前にしたあのときの私は、あの男と別れて一人で死ぬか、あの男の罠にかかったまま惨めに死ぬか、それしか無かったの」

 突然、結衣さんは穏やかじゃない言葉を吐く。

「わ、罠って?」

 結衣さんは苦笑した。

「私の病気が分かったとき、アイツ言ったの。俺が最期まで面倒見てやるから、安心しろって」
「……いい人じゃないですか」

 なかなか言えることではないと思う。愛する人の病気を受け入れることだって、僕にはできるか分からない。

「表向きはね。でも、本当はアイツ、見栄っ張りでプライドが高くて、浮気癖が酷くてね。結局アイツが手に入れたかったのは、病気の妻を最期まで献身的に見た素晴らしい旦那っていう肩書きだったのよ。会社で私の病気を言いふらして、どれだけ看病が大変か、どれだけ自分が献身的ないい夫かって、ずっとアピールしてたの。元々同じ職場で働いてたから、共通の友人がいっぱいいるのに、私の耳に入らないと思ったのかしらね」

 結衣さんはケロリと言う。

「……でも、看病してくれてたのは事実なんですよね?」
「うん。してくれたよ。いつも家に浮気相手を連れ込んでたけどね」
「それは……」

 なかなかフォローしがいのない元旦那さんだ。

「だから、病気が治ったとき真っ先に振ったわ。すごくスッキリした。その後すぐ今の旦那と出会ったの。病気のことは言っていないけど……。今はすごく幸せだよ」

 そう言った結衣さんの瞳は、キラキラと輝いていた。

 紛れもなく、恐ろしいとしか思えない『対価』を雫さんに渡して得た願いごとだ。だって、彼女が雫さんに渡したものは、寿命の半分だ。

 それなのに、目の前の結衣さんは、依頼に来たときよりもずっと美しく、生き生きとしていた。


 帰り道、あの穴へ行った。
 兄がいる穴。あの、昏い穴。

 最後に、結衣さんが別れ際に言った言葉を思い出す。
「ねぇ私……あなたのこと、どこかで見たことある気がしたんだけど」
「えっ……僕をですか?」

 僕は顔を上げ、結衣さんをまじまじと見る。

「……すみません。僕は全然……」
 申し訳ないくらいに覚えていない。

「いやいや違うんだよ。多分、私が見たのは……」

 結衣さんは続きを言うのを躊躇うように、目を逸らす。

「なんですか?」
「……君、一度事件に遭ったことない?」

 結衣さんは僕をじっと見つめて言った。僕はその視線から逃れるように目を逸らす。

「…………あぁ、ニュースで見たってことですか」
「ごめん。思い出したくなかったよね」

 結衣さんは申し訳なさそうに僕を見て、謝ってくれる。僕は慌てて首を振った。

「いえ。僕、唐草区の唯一の生き残りなんです」

 十年前、唐草区の人間は消えた。あの事件で生き残ったのは、僕と僕の両親のたった三人のみ。

「そう……」
「だからかも」

 しかし、結衣さんは小さく首を傾げ、
「うーん……でも私、十一年前の事件で見た気がするんだけどなぁ……」

 僕たちの間を、風がざわりと吹き抜ける。

「え?」

 結衣さんの呟きは僕の耳には届かず、聞き返しても結衣さんは笑顔で首を振り、「なんでもない」と言った。
 そして、
「とにかく、雫さんによろしくね」

 結衣さんはそう言って人混みに消えていった。

 ――僕は、目の前の昏い穴の中を見つめる。

「ねぇ、兄さん……。僕は、どうしたらいいんだろう。どうしたいんだろう…………」

 雫さんはただ願いを叶えているだけだ。人それぞれどうしても叶えたい願いがあって、『対価』を見返りに叶えてあげているだけなのだ。

 その願いが、当事者や周りにどんな影響を及ぼすのか、そういうことは考えずに。

「兄さんは、なにを願ったの? あの日のこと、僕はなにも覚えていないんだ。……教えてよ。あの日、なにがあったのか。なにも言わずに消えるなんて、卑怯だよ……」

 問いかけても、いつも答えに導いてくれたはずの兄は、どこにもいない。

「もう、どうしたらいいのか分かんないよ……」

 小さく冷たい雫が真昼の流れ星のように、僕の頬をぽろろと流れた。
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