眠れる森の王子は人魚姫に恋をした

それぞれの真実

「あの…。良かったらこれを使ってください。」

ハンカチを差し出し、目の前に座った男性は勝手に喋り出して止まらない。
今声を出してしまえば、また嗚咽と共に涙が溢れ出しそうで、顔を見てしっかりと追い払えなかった。

「今ここに座っていた男性に泣かされたの?」

航希のことを言われたので、黙ったまま頭を横に振った。

「私が彼を傷つけたの…。」

あんなに私の事を愛しんでくれた彼を自ら手放したのだ。私なんかが泣いてはいけないんのだ。
再び俯く私に男性は優しく声を掛けてくれる。

「もし、この後急ぎの用事がないのなら、このままおじさんの昔話を聞いてくれないかな…。」

航希と失った悲しみで帰宅する気力がない今、この男性の話を聞くことで少しでも気がまぎれるのなら、それはそれで良いと思い黙って頷いた。

「もう、20年以上前の話なんだが…、社会勉強の為に一度だけアルバイトをしたことがあるんだ。そこで運命の出会いをしたんだよ。芯が強くて、思いやりもあって、どんな時でも笑顔を絶やさない素敵な女性に一瞬で心を奪われたんだ。」

男性は自分の過去の恋愛話をし始めた。自分の経験談を語ることで気持ちは分かると言いたいのだろうか…。

「その女性は義理の父によく暴力を振るわれていて…、家庭環境に恵まれていなかった…。それでも母を守ると盾になっていたしく、いつも何処かに痣をつくっていたんだ。僕は家が金持ちだったから、彼女と彼女の母親が安心して生活できるように家を借りたりして準備したんだけど、気が付いたら義父から逃げる為に母親と何処かへいってしまった。僕に何の相談もなしにね…。」

恋人を思いを寄せたまま、心の準備ができないまま去られてしまったのか…。今の私ならその気持ちを理解できる。いや、違う。何もできずに強制的に終わらせてしまったのは私の方だ…。

「その後、彼女を必死に探しまくったよ。あの時、僕たちは確実に愛し合っていた。当時の僕は女性が自分から離れていくなんて想像ができなくて…。あ、今はおじさんだからこんなんだけど、昔はモテたんだよ。」

男性は照れながらも少し自慢げに笑った。

「その女性は見つかったんですか?」

話を聞いているうちに気持ちが落ち着いてきたのか、泣かずにも言葉が出てくるようになっていた。

「…いや、残念ながら見つけられなくてね。今でも彼女に似たシルエットを見ると追いかけてしまうんだ。それ以来、恋をする気になれなくてね…。この年で未だに独身だよ。あははっ。」

こんな歳まで独身でいたくないならサッサと次の恋愛に進めとアドバイスしたいのだろうか…。

「いつかまた会えるといいですね。」

「あぁ。僕もそう思っているよ。」

男性は柔らかく微笑んだ。

「実は君とは以前、別の場所で会っているんだ。今日ここで君に会えたのには少し運命を感じてるよ。」

やはりナンパ目的だったのか?もしくは何かの勧誘?それとも詐欺?『運命を感じてる』なんて言われ警戒心が芽生える。

「ガラティアホテルの庭園で一度、君を見かけている。ほら、覚えてないかな?桜の木の下で風に飛ばされた招待状を君が拾ってくれたんだ。」

 ガラティアホテルの庭園…。おそらく70周年の祝賀パーティーの時だ。

「あっ。」

「思い出してくれたかな?」

「あんな一瞬だったのに、よく覚えていらっしゃいましたね…。」

「その時の君は僕が恋した女性にそっくりな上に、僕がその女性に贈ったブレスレットをつけていたんだ。桜が散る中まるで幻を見ているようだったよ。」

 …ブレスレットって。

「まさか、その女性の名前って!」

久保田 香澄(くぼた かすみ)って聞き覚えないかな??」

「はい、香澄は母の名前です。」

「申し遅れましたが私は葛城と言います。こんなに彼女にそっくりな貴方がいると言う事は彼女に家庭があるのだろうとわかります。それでも一度だけで良いんです!一度だけ連絡を取れるようにしてもらえないでしょうか…。家庭を壊す事なんて決して致しません!!直接会えなくても良い…、せめて電話だけでも…。」

スーツのジャケットから名刺を1枚取り出して私に手渡すと深々と頭を下げ始めた。

何の書類だったのか覚えていないが母は過去に久保田と言う苗字が書かれていた場所があった。先ほど、葛城さんが言っていた義父の苗字なのかもしれない。葛城さんの前からいなくなった後、私の祖母にが離婚をして母は長月に姓が戻った…。

「私の名前は長月 文と言います。申し訳ないですが葛城さんに母を合わせる事はできません…。」

「無理を承知でお願いしています。決してご家族にご迷惑になる事は…」

「…母は他界しているんです。」

「たっ…他界?…そっ、そんな…。」

「母は私が小学生の頃、交通事故に遭い亡くなりました。生涯未婚で身寄りがないのに1人で私を育てていたので大変だったと思います。母には感謝の気持ちしかないです。久保田はおそらく暴力を振るっていた義父のものだったのではないでしょうか。その前後が長月になっていましたから…。遺品として残されたこのブレスレットはとても大切に仕舞われていたそうです。」

葛城さんはがっくりと肩の力が抜け落ちてしまっていた。呆然とした様子で椅子の背もたれに寄りかかっていたのだが、突然前のめりになり私の年齢を尋ねてきた。

「今年で24になります。」

それを聞いた瞬間、葛城さんの表情が再び明るくなった。

「あやってもしかして『作文』の『文』の字じゃない?」

「えっ?…はぃ、そうですが…。」

「渡した名刺を見てみて!」

突然ワクワクしたかのように嬉々として話しだす。

「株式会社アクアリゾートCEO…、えっ!CEO!?」

「違う、そこじゃなくて僕の名前を見て。」

「葛城 将文…。あっ…。」

『文』の字が使われていた。

「流石に娘に『将』の字は付けづらいよねー。となると…。」

「えっ!?うそっ!?」

「僕たち、遺伝子検査するべきじゃない?」
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