愛しのディアンヌ
 退散するしかない。私は、逃げるようにして階段を駆け上がっていく。一階上の505室が、私の部屋である。自分の部屋のノブを回してみたところ、アッサリと開いた。どうやら、今朝、鍵をかけないまま部屋を出たらしい。疲労困憊の私は服を着たままドサリと仰向けになって横たわる。

 先刻の人に対して、私は、いつものように『ジョルジュ』と名乗ったのだが、ジョルジュというのは兄の名前。つまり、偽名。私の本当の名前はディアンヌ・ミレー。

 十七歳の女性なのだが、都会は色々と物騒なので男子学生のフリをしているのだが……。

 それにしても、先刻の若者は誰だろう。滅多にお目にかかれないような麗しい顔立ちをしていた。全裸の青年を思い返すと鼓動がいたずらに跳ね上がる。

後日、改めて謝罪するとしよう。

 この時は、まさか、彼が、私の最愛の運命の人になるとは夢にも思っていなかった。 

               ☆

 翌日は土曜。授業はない。久しぶりにぐっすりと眠れて嬉しかった。

 シャツや下着のシワを伸ばして丁寧に干してから洗濯バサミで留める。

「はぁー。今日もいい天気だなぁ~」

 早いもので王都にある薬剤師の学院に通い出してからニ年が経過しようとしている。

 下宿人達が共用で使う裏庭を使っているのは私だけ。

 レモンバームやタイムなどのハーブが葉を伸ばしている。

 週末になると、鉄工所や紡績工場の機械が停止して平日とは違い、とても静かになる。

 早速、出かける仕度をした。煉瓦造りの古い建物の隙間を通り抜けながら、建物に囲まれた四角い空を仰ぎ見る。作業着、ズロース、シュミーズ、靴下。住人達の洗濯物が揺れる様子を見上げながら歩く。

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