愛しのディアンヌ
 マダムの邸宅に泊まった翌朝、マダムは、俺の部屋に入ってきたのだ。しかも、マダムは全裸だった。倒れこむように俺に抱きついてきた。

『あたしを楽しませてくれるのなら、あなたのことを永遠に支援するわよ』

 その代わりにベッドで奉仕するように媚態と微笑みで告げた。

『断ります。俺はピアニストなんだ』

 彼女は顔を歪めてまさかという顔つきになった。それから、すがりついてきたが、俺は、顔を逸らした。

 マダムは四十二歳。華やかな顔立ちの女性だった。マダムは河沿いの不動産を扱いながら、複数の娼館を経営している。懇意にしている官吏や政治家が多いという。煩雑な許可も、マダムならば、すんなりと得られる。


『馬鹿な子ね。あなたは私の力なしに何も出来ないのよ』

 彼女は目を吊り上げて喚いていた。俺は突き放すように言った。

『あなたは俺の母親よりも年上なんですよ』

 すると、バシャリと頬を打たれていた。高飛車な顔つきで切り刻むように俺に言い放ったのだ。

『勘違いしないでちょうだいよ! 客は、あなたの甘い容姿を愛でるのが好きなだけなのよ! あなたの音楽なんかどうでもいいの! れな坊やね。さぁ、鏡を見なさい……。あなたは、貴婦人に腰を振る愛玩犬なのよ。それが、あなたの天職なのよ』

『犬?』
 いっその事、顔の半分を燃やしてしまおうか。そうすれば、純粋に音楽を聴きたい人達だけが来る。

「……馬鹿だよな」

 絶望の余り馬鹿な事に囚われている。ふぅと絶望しながら独房の片隅で溜め息をつく。

 いずれ、父の秘書が卑劣な交渉をしに来るだろう。

 今回は長期戦になるかもしれない。俺は作曲を続けたい。演奏したい。創作の世界無しで生きられやしない。

 俺を蝕む憎しみも悲しみも絶望も、何もかもを音に変えて表現してきた。曲が完成した時、世界は自分のものになったかのような誇らしさを感じる。
< 47 / 137 >

この作品をシェア

pagetop