愛しのディアンヌ
 オーケストラの一段はホールの奥まった場所に固まっていた。客は、まだルイージの存在に気付いていないらしい。

 マリアさんが羽根のついたエレガントな扇で口許を隠しながら囁いている。

「エスダ人は宣伝上手なの。ここは商談の場にもなっているのよ。女神の彫像の前にいらっしゃる黄金虫のような体型の紳士は市長のフランクールよ。その隣の紳士が、ベルジャエフからいらしてる外交官。どちらも芸術家を支援しているのよ。それにしても、ルイージって噂通りの美男子だわ」

 ルイージに気付いた御婦人がいた。突然、ハッとしたように閉じた扇子で指している。

『あら、大変。奥様、御覧あそばせ。楽団員の中にルイージがいますわよ』

『えっ! 本当ですか……』

 武器商人である若い金髪の妻が興味深気に呟いている。

『まぁ、彼が、悪名高きルイージなのですか。もっと素行が悪くて見るからに卑しい人なのかと思っていたわ。高貴な蘭の花のような美しい男性ではありませんか。あら、麗しいのね』

 団員は野暮ったい雰囲気をしているというのにルイージだけは華やかだ。譜面の両脇に燭台が置かれており、彼は、真摯に演奏に打ち込んでいる。私の前にいる紳士が感嘆したように呟いている。

『あのピアニストは一体誰なのかね? 正確な演奏をしながらも音の一つ一つに心を揺さぶる。美しい音色を奏でておる。目を閉じると、忘れていた懐かしい光景が浮かんでくるではないか』

『大佐。あれは、確か、ルイージという音楽家ですよ。女癖が悪いようですぞ。落ちぶれていると聞いたが、おやおや、こんな場所にいたのですな』

『女が好き? おおいに結構なことじゃないか。私も若い頃は色々やらかしたものだぞ。あーはは』

 マリアさんは別の方向を向たまま訝しげに目を細めている。

「誰かしらね。見たことのない人がいる。右側の柱の脇よ」

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