あなたの傷痕にキスを〜有能なホテル支配人は彼女とベビーを囲い込む〜
『初めまして、スタッフの皆さん。本日より支配人として任命された深沢慎吾です』
低く、落ち着いた声。
名乗っただけなのに、有能であることが疑いようのない響き。
……ハロウィンの日。
里穂の目を見て、甘く『里穂』と何度も自分の名前を呼んだのだ。
慎吾の熱やあの声を思いだすと、今でも体が疼く。
今は温度を感じさせない口調なのに、里穂の心も体もざわついてしまう。
『新オーナーより新生彩皇の教育を、エスタークホテルが申しつかりました』
ごくり。
誰かが唾を飲み込む音が聞こえるほど、休憩室にいるスタッフは聴き入っている。
『順次、皆さんのシフト状況を確認の上個別ミーティングを行っていきます』
個別?
声にならないざわめきが広がる。
『教育スケジュールはミーティング終了以降、皆さんの個別アカウントに一週間以内に送信予定です。私からは以上。それでは休憩・及び責務に戻ってください』
慎吾がいい終わると、画面は館内の映像に戻った。
もっと改革についてグダグダと長い話になるのかと覚悟していた者達はあっけに取られた。
「…………おっかな……」
「冷たそうな人よね」
それは見かけだけ。
彼はどこまでも熱くなれる。
というより、あの朗らかな男性が公的には鋼鉄のようになるのか。
切れ味のよい日本刀のようだ。
振りおろされれば、ただではすまない。
なのに、その佇まいは美しい。
里穂は男の表部分を見せつけられ、魅せられた。
「どれどれ……何か、新支配人の情報載ってるかなー。……わあ、隠岐家の遠縁だって!」
携帯を操作してネットを検索したらしい誰かが声を張り上げた。
何なに、と皆が耳をそばだてる。勿論、里穂もだ。
「えっとー、有名私立大学の最難関学部をなんと首席で卒業! 都市銀の融資課勤務のち、隠岐現CEOにヘッドハンティングされて首席秘書なんだって」
ドクン、と里穂の心臓が鳴る。頭のいい人だろうと思ってはいたが、それほどとは。
気持ちが沈んだ彼女とは裏腹に、休憩室が沸いた。
「融資課って銀行だと花形部署だっけ?」
「多分、そう」
「じゃあホテル業界のこと知らないの? そんな人が支配人っていくらイケメンでも不安すぎ」
不平の声に別の誰かが教えてやる。
「違うわよ、隠岐家ってエスタークホテルチェーンのオーナー一家で、支配人はその一家の遠縁らしいわよ!」
そんなに凄い家の出身だったのか。
あの日慎吾と感じあった近しい気持ちは、彼の正体がわかるにつれて、どんどん隔てられていく。
——彼にとっては一夜の遊び。慎吾と連絡を取れなくなってから、慎里を孕った時から、幾度となく考えていたことが頭に過った。
「じゃあ、バリバリのホテルマン一族の出身ってこと?」
期待に満ちた声に比例して、休憩室内の雰囲気が明るくなる。
「うん。エスタークホテルのスタッフメソッドを、現CEOと一緒に構築したって書いてある」
スタッフが慎吾に抱いた印象が、冷たいだけの支配人から有能な人物へと上書きされていく。
「ちょっと待って? 隠岐家って確か……そうだ、渡海グループの一員だったわよね? 支配人も、もしかしたら親戚ってこと?」