カラダダケの関係に依存していた私の話


私は元来寂しがり屋な人だった。


友達や彼氏にもそう言われていたし、自分でも感じていた。


一人の時間を特に嫌い、一人で食べるご飯にも、1人で眠りにつく夜にも、何の価値も見出すことができなかった。


誰かが隣にいないと寂しい。


ねじ曲がった寂しさを言い訳に随分と酷いことをしてきたものだ。


好きでもない誰かと付き合いながら、遊べる人をつくり、本気になられたら切り捨てる。


そしてまた新しい人と。


そのくせ、少しでも相手のことを好きになりそうな時には、拒絶される未来ばかりを見据え、それを現実にしない為に自分から離れていった。


理不尽に返り討ちを恐れて。


沢山の人を利用して傷つけてきた。


相手の気持ちなんて無視だった。


誰の目から見ても、あの時の言動が常軌を逸していたことは明白だっただろう。


だろう、と言うのは、当時の異常な生活を多くの人には語ってこなかったからである。


受け入れ難いという顔を向けられることは確実なのに、それでも打ち明ける勇気なんてまるきり持ち合わせていなかった。


同時に、打ち明けなければならない状況にも巡り合わなかった。


では、なぜ今ここに勇気と状況が重なり合ったのか。



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