吸血鬼令嬢は血が飲めない
レギナとラクリマ

ぞわぞわっという得体の知れない悪寒に、わたくしは震えました。

どれほどの時間歩いたでしょう。
等間隔に青白い蝋燭の光が灯され、銀の甲冑が並べられた薄暗い廊下を、腕にラクリマを抱いて、傍らにニクスを控えさせ、わたくしはジグザグに進んでいました。
デタラメに進んでいるわけではありません。これもラクリマを守る手段なのです。

「…はぁ…。」

進みながら、わたくしは大きな溜め息を漏らし、手元に目を落とします。
安らかに寝息を立てる可愛らしいラクリマ。
何の罪も無いこの子を守る。それは記憶を取り戻してからずっと、わたくしの最重要事項でした。ですから、今この手に彼女を抱いていることに後悔はありません。

一つ懸念があるとするなら、

「……スアヴィス、やっぱり、すっごく怒ってましたわ…。」

執事スアヴィスのこと。
普段無表情で、何を考えているか分からない彼が、あんなに感情を剥き出しにするなんて珍しい。それほどまでに、わたくしが敵である人間を庇ったことが許せなかったのね。彼はわたくしよりずっと長生きな、誇り高き吸血鬼ですもの。規律を重んじる立場であるはずだわ。

我が父が眠りについて100余年、城と使用人達の管理と、わたくしのお世話をしてくれた。それについては恩を感じています。わたくしにとってスアヴィスは執事以上に、お兄様やお父様のような身近な存在…。
そんな彼を裏切ったことが、小さな引っ掛かりとなっていたのです。

「……いいえ。
日頃から侵入者は問答無用で排除されるのです。それに比べたら、女の子一人を生かすなんて大したことじゃありませんわ!」

侵入者が排除されるというのも、いつもスアヴィスの口からポロッと事後報告されるので、わたくしは食い止められません。
しかし今回の事案は前々から分かっていたこと。わたくしの100年以上の準備が無駄にならないよう、しっかり役目を果たさなければ。

その時でした。

「……ん、んん……?」

ラクリマが、わたくしの腕の中で小さく声を漏らしたのです。
わたくしは目を丸くして、彼女の顔を見つめます。

長い睫毛の生え揃った瞼がぱちぱちと瞬き、澄んだブルーの瞳が、わたくしの顔を映しました。

「…貴女、どなた?」

聖歌のように澄んだ声。
この声を悲鳴に変えるまいと必死になってゲームをプレイし続けた日々が蘇ります。
わたくしは唇をアワアワさせながらも、何とか正気を保ち、声を絞り出します。

「…わ、わ、わたくし、…レ、レ、レギナ!ですわ!」

「!!」

わたくしの青白い顔があんまり必死だったせいか、ラクリマはひどく驚いてしまいました。

「…レギナ、さん?」

「…あ、安心なさってラクリマ!
あなたのことは、わたくしが守りますわ!
安全に!城の外まで!送り届けますからね!」

「…え?…城?ここは、ひょっとして…。」

ラクリマは辺りを見回します。
薄暗くて不気味な雰囲気。肌を刺す妖気。わたくしですら悪寒を覚えるこんな環境、人間の女の子にはさぞ苦痛でしょう。

「…ここは、吸血鬼の棲むバートランド城ですわ。
あなたは、えと…この城の吸血鬼に攫われたのです。」

正確にはうちの使用人達に…ですけれど。
しかし正直に話せば絶対警戒されてしまう。それでは本末転倒です。

「…まあ!
じゃあ貴女が、その吸血鬼から助けてくれたの!?」

「え!?」

ラクリマの無垢な笑顔が、わたくしのハートを射抜きます。
不意打ちの可愛らしさにときめいた…だけではありません。彼女に対してわたくしは隠し事をしている。その後ろめたさが、心臓を深く抉るのです。

「…まあ、そうなりますわ。ウン。」

「ありがとう、レギナさん!
女の子なのに、なんて勇敢なの!」

ーーーち、違うんですわ…!

ーーーあなたを攫ったのはわたくしの使用人だし、わたくしこう見えてあなたの10倍年上なんですの…!

そんなこと言えるはずもなく、引き攣った笑みを返すしかありませんでした。

「…えへへ、小さい頃から鍛えてますので…。」

吸血鬼特有の魔術も、腕っ節も自信がありますから、嘘はついてませんわ。

「鍛える?
…あぁ!ひょっとしてレギナさんも、吸血鬼を退治するために?」

「…え、ええ、まあ。へへ…。」

ラクリマは基本、疑うということを知らないのでしょう。何ともわたくしにとってありがたい都合の良さで解釈してくれました。
しかし、

「ん?…レギナさん“も”って?」

「わたし実は聖職者の血筋なの!
森の中へ入ったは良いんだけど…城に乗り込む前に気絶させられてしまうなんて、敵討ちに来たのに情け無いわね…。」

ここへ来て、聞き馴染みのない爆弾発言が飛び出しました。

「…か、敵討ち?」

「そうなの!
昔、わたしの一族の人間がこの城のヴァンパイア・ロードに攫われて命を落としてしまって…。
その敵討ちのために一族代々、ヴァンパイア・ロードを退治することを家訓としてきたのよ。」

「…え?ということは、あなたは運悪く連れて来られたわけじゃなく…?」

何だか雲行きが怪しい。
わたくしの嫌な予感の回答として、ラクリマは何とも純粋な目で真実を明かしたのです。

「もちろん!
レギナさんと同じく、ヴァンパイア・ロードを退治するためにここへ来たわ。」

ーーーえぇぇぇ〜〜〜??

その時のわたくしの顔面は、人様にお見せできないほど蒼白になっていたことでしょう。

「…へぇぇ……か、家族思いですのねぇ…ひぇぇ……。」

驚愕の悲鳴が口の端から漏れ出づります。
確かにゲーム本編では“ラクリマがなぜ城に連れて来られたか”の理由までは描かれていませんでした。
てっきり近隣の村から無作為に攫われたものと解釈していましたが、確かにそれだけではこの死霊城を単身冒険できる肝っ玉が説明つきません。

「…で、でも吸血鬼退治なんておすすめしませんわ!危険だし!
ほら、ちょうどわたくし、怖くなってこの城から逃げるところでしたの!
良かったら一緒に……、」

「あら全然へっちゃらよ!わたし慣れてるし!
何ならレギナさんのことも守ってあげる!」

「…そ、そういうことじゃ…。
あぁ…違うんですわぁ…。」

上手い説得を思いつけずにいると、フッと全身の力が抜ける感覚に襲われました。
こんな時に!根が虚弱なわたくしは、大事な場面で貧血を起こしてしまったのです。

腕に力が入らず、抱いていたラクリマを落としてしまいますが、彼女は何とも軽やかに床に着地しました。それどころか、逆にわたくしの体を支えてくれるという逞しさです。
猟犬ニクスも、不安そうにわたくしの顔を見上げています。

「だ、大丈夫?レギナさん。
すごく顔色が悪いけど…。」

「……あ、ありがとう…。
少し気を張り過ぎただけですわ…。」

「この状態で退治は無理ね。
ひとまずどこかで休みましょ。歩ける?」

「…え、えぇ…。」

なんという失態…。これじゃラクリマを助けるどころか足手纏いですわ…。

…いいえ。
そもそも彼女は最初からヴァンパイア・ロード退治のためにバートランド城へやって来たと言いました。
じゃあわたくしがラクリマを助けるって、イコールこの城の吸血鬼全員を敵に回すことになるのでは?

ーーーそんなことになったらいよいよ、あの冷血執事が黙ってませんわ…!令嬢相手だろうが、どんな折檻をされるか分かったものじゃない…!

そもそも、わたくし自身が退治対象である吸血鬼の眷属だとバレたら、スアヴィスの前にこの子に消されるのではなくて?
推しキャラに退治される…それはそれで、人によっては魅力的かもしれませんが、小心者のわたくしはそこまでのご褒美は求めていません。推しも大事ですが、命はもっと大事ですわ。

「……う、うぅ…。」

わたくしは血の気の失せた頭を必死に働かせます。
ここは穏便に、ラクリマには聖なる力を使わせずにお帰りいただくのが一番だわ。
あくまで、わたくし自身もここへは初めて来た(てい)で。

「…ひ、ひとまず裏口を目指しましょうか。
この道を進んだ先にある……気がしますわ。」

「そうね。じゃあレギナさん、行きましょう!」

明るく言うと、ラクリマはわたくしの手をギュッと握りました。

わたくしはハッとします。
それは、普段なら絶対に経験することのない温もり。人の手の感触。
何とも言えず心地よく、感動的とさえ呼べる感覚でした。
呆気に取られるわたくしに、ラクリマはちょっと恥ずかしそうに言うのです。

「…えへ。たった一人で退治に挑むの、ちょっと心細かったの。
レギナさんがいてくれて嬉しい。」

「……。」

わたくしは握られた手をじっと見つめます。

「…わ、わたくしも、ホッとしてますわ…。一人でいるのは、とっても怖いんですの…。」

聖職者であろうと何であろうと関係ない。わたくしはこの子を何としても守る。きっとそのためにこの世界に転生したのですから。
ラクリマの手をギュッと握り返し、わたくしはふらつく足を前に進めるのでした。


「……あ。
そ、そこの黒いタイルは踏んではダメですわ…。
白いタイルを選んで、ジグザグに進んでくださる?」

「え?どうして?」

「無数の罠が仕掛けてあるのです。
もれなく毒矢が飛んできますわ。」

「………。」
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