突然、お狐様との同居がはじまりました

第五話 嵐の前の静けさ



 鏡の前で、前髪がきまらない蘭は悪戦苦闘していた。



「まだか蘭」

「ちょっと待って! …………よし、完璧」



 翡翠と出かける約束をした日曜日。


 蘭はいつもより少しおしゃれをして準備万端。



(べつに気合が入ってるとかでは、断じて無いけど!!)



「おまたせ、翡翠っ――――!?」
 
「どうした」



 今日は春らしい陽気。


 翡翠は羽織の無い着流し姿だった。それくらいなら蘭も見慣れているが、目がいくのはそこではなく翡翠の頭。



「翡翠……、耳どうしちゃったの?」



 いつもピクピクと動き地獄耳でもある、もふもふの耳がなくなっている翡翠に蘭は驚きを隠せない。



「人間が多い所にいくかもしれんからな、人に化けているだけだ」

「でも学校の時は普通だよね?」

「あの場所は姿を現す必要がない。今日は違うだろう。お前、独り言を呟きあたかも誰かと二人で飯を食べている風の変人……に間違われたいか?」

「絶対嫌です……」



 実はこれ、蘭は一度やらかしていた。


 スーパーで買い物をしている時、翡翠がごく自然に話しかけてくるものだから「ねぇ、翡翠。冷蔵庫にケチャップあったっけ?」などと会話をしていたら、他のお客さんにこそこそと噂された事がある。



 電話をしている訳でもなく、一人でずっと話し続けている女子高生はさぞかし変に映っただろう。


 あれは恥ずかしかった。蘭は思い出しただけで、何とも言えない感覚にぞわりと背筋がむず痒くなる。



 蘭はちらりと翡翠を盗み見た。



(やっぱり、翡翠ってカッコいいよね……。私、今日変じゃ無い? 大丈夫かな)



「蘭」

「うん?」

「似合いっているぞ」

「……!! そ、そう? 嬉し――」

「馬子にも衣装、だな」

「……翡翠のバカ! デリカシー無し男!」

「でりか……、おいなんだそれは。待て、蘭」

「ほら、もう行くよっ!」



 今日も今日とて、一言多い翡翠。

 
 はてして、このデートは上手くいくのだろうか。




◇◇◇◇◇



「今日はいい天気だね〜」 

「あぁ。蘭、これはここに敷くのか」

「うん」



 家からも比較的近く、すぐ近くに川が流れている公園にやってきた。川辺の道には花見シーズンならば満開の桜が咲いていたであろう木がたくさんある。



 蘭達の他にも、レジャーシートを敷きお弁当を食べている子供連れの家族がちらほらと居た。 



「お腹すいたー! あ、昨日翡翠が食べたがってたタコさんウィンナー。今日も作ったよ!」


 お弁当の蓋を開け翡翠にも中身を見せれば、すこし表情が緩ませ「味はいつもとかわらんが、この形はなんとも面妖よな。目に楽しい食べ物だ」と言う。



 今日は早起きをして朝から、おにぎりを握りおかずも作りと忙しかった蘭。「量が多いかな?」と思ったお弁当をパクパクと平らげていく翡翠に嬉しくなる。



「美味いな」

「そう? ありがとう!」

「こうして外で食べるのも、悪くない」

「同じおかずでも、外で食べるといつもより美味しく感じるよね」

「確かにな」

「ね、翡翠、こっちのやつ食べてみて?」


 いつも家では甘い卵焼き作っているが今日は甘いのと、だし巻き卵も作ってみた蘭はだし巻きの方を勧めてみる。


 すると、翡翠は「あ」と口を開く。



「ちょっ、自分で食べてよ!」

「俺は今、にぎり飯を食べているだろう。箸を持ちたくない」

「怠惰な……!」



(なんか、最近こういうの多い気がするっ……!)



 仕方なく蘭は卵焼きを箸でつまみ、翡翠の口元へ運ぶ。



「…………ふむ、だしの風味が良いな。甘い方も好きだが」

「たまに食べると美味しいよね。私は甘い方が好きなんだけど、昔、おばあちゃん何でか遠足のお弁当の時だけ、だし巻きだったの。何でだったと思う?」

「桜子はだし巻きが好きだったのか?」

「ううん、違うの。気分転換らしいよ、いつも甘いの作ってるからたまにはね〜って」

「ふっ、桜子らしいといえば、らしいな」

 

 穏やかに笑う翡翠の笑顔に、なぜ胸がきゅんとした蘭は自分の胸を押さえる。



「どうかしたか?」

「いや……別に! ほら、食べて食べて」





 その後も色々と会話がはずみ、あっという間にお弁当の中身を全て平らげた二人は、天気も良いので散歩をする事にした。



 ゆっくりと川辺を歩いていると、蘭はあるものを発見する。



「あっ!」

「どうした」

「見てみて! 鈴蘭が咲いてる」



 春に咲く鈴蘭は、春の訪れを伝える花だ。



「可愛い……。私の名前、鈴蘭からとったんだよ」

「桜子がつけたのか?」

「名前は私が生まれる前に、お母さんが決めてたらしいの」

「……そうか。いい名だ」

「私も自分の名前気に入ってるの。本当、鈴蘭って可愛いよね。せっかく同じ名前をつけてくれたから、私もこんな風に可愛くなりたい」

「――――俺は可愛いと思うがな」

「えっ?」



 驚きのあまり固まる蘭。



 しかしすぐに鈴蘭の方だと理解し「うんそうそう、鈴蘭可愛いよね! あははー」と、自分の事かと思ったのを誤魔化した。



「鈴蘭もそうだが。お前の事だよ、蘭」

「!!」



 口をパクパクさせ顔を赤くする蘭をじーっと見つめ、翡翠は蘭の頬に手を添えた。



「っ!」

「……お前は可愛いよ。俺が保証しよう」



(……かわっ!? ななななんで突然そんな事言うのっ!?)



「お前の魅力がわからん奴は、目が節穴なだけだ。今後、もしそんな奴と出会っても無視をしろ。いいな?」



 必死に首を縦に振る事しかできない蘭。



 その様子を満足気に見た翡翠は「さて帰るか。そろそろ澪緒が起きて、騒ぎ出す」と、踵を返し歩き出した。



「……ちょ、先行かないで! 待ってよ翡翠!」

「急ぐぞ蘭、のろのろしていたら置いてい――――!」



 振り返った翡翠が目を見開きこちらへ手を伸ばす。蘭は「なに?」と訳がわからなかったが、理由はすぐにわかる事となる。



 ドンッと腰に衝撃が走ると同時に「うわぁっ!」と子供の声がして、誰かがぶつかってきたのだとわかった。



 しかし油断していた蘭は、そのまま翡翠の方へ体がグラつく。



(やばい、倒れる……!)



「っ!?」

「!」



 色々な出来事が重なり、それは起こった。




 ―――――蘭と翡翠の唇がぶつかる。
 
 


 でもそれは一瞬の事で。



「――ごめんなさい! おねぇちゃん大丈夫?」



 ぶつかってきた男の子は動かない蘭を心配そうに見た。ばっと光の速さで翡翠と距離をとり、蘭は男の子と目線を合わせてニコッと笑う。


「大丈夫だよっ! 君も怪我はない?」

「うん!」

「ちゃんと周りをよく見て遊ばなくちゃ。お友達も、君も、怪我をしちゃうよ?」

「……ほんとに、ごめんなさい」

「謝れてえらいね。さ、周りに気をつけて遊んでおいで!」



 そう言うと男の子は元気よく走りだし、「バイバイおねぇちゃん! おにぃちゃんも!」と手を振ってくれた。



「ばいはーい! …………」

「…………」



 なんとも気まずい、沈黙の時間。
 先に喋り出したのは翡翠だった。



「蘭よ――――」

「さてと! 澪緒ちゃんも待ってるだろうし、帰ろ!」



 被せ気味に言う蘭に、翡翠は一瞬考えるそぶりを見せ「……そうだな」と歯切りの悪さを残し、返した。

 



(…………びっくりした)
(さっきキスした…………よね? なんて今聞く勇気、私には無いっ!!)

 

 どちらからともなく、二人は家路を急いだ。




◇◇◇◇◇



『もしもーし、後輩ちゃん?』

「…………」

『え、電話越しでもわかる重い空気やめてくれない?』

「どうしたらいいんでしょうか、先輩」
 


 翡翠と二人で出かけた日の夜、蘭は廻に電話をかけ今日あった事を話していた。



『え、それって……事故チューじゃん』

「は、はっきり言わないでくださいよ!!」

『今更照れたって仕方ないじゃん? それで、後輩ちゃんはキスして嫌だったの?』



 蘭はあの時の事を思い出し、唇へ手を当てる。ふに、と感触が思い出されるようで、言い難い感情が胸を苦しくさせた。



(……嫌、じゃなかったから困るんだよね)



『後輩ちゃーん?』 

「先輩、私の名前わかりますよね?」

『んもー。俺さ、後輩ちゃん……蘭ちゃんみたいな年下の友達貴重だから、あえて名前呼ばなかったのにー』

「? なんでですか?」

『……色々と、勘違いさせちゃマズイでしょ?』

「今すぐ切りますよ」

『冗談じゃん、ってのと半分本気。俺、モテるからねー』

「そうですか……」

『え、引いてる? おーい』

「――なんか、滝川先生と似てますね。ノリが」

『……滝セン? えぇー、やめてよあのダメな大人と同じにするの。滝セン、俺が一年の時担任だったなぁ。元気にしてる?』



(先生、本当なんで教師やれてるんだろう)



「えぇ、まぁ、元気……というか、生きてますよ」

『ま、その話は置いといて。話を戻すけど、蘭ちゃんは気になる彼の事、どう思ってるの?』

「うっ……、よくわからない……です――」

 

 
 その後も、話は平行線で。廻との通話を終えた蘭はぽふりと布団に寝転ぶ。


 目を閉じれば、昼間の事が鮮明に映し出され翡翠の唇の感触を思い出す。



「うううっ〜〜!!」



 蘭は足をバタバタさせ、悶える。



(はぁ……。もう訳わかんないっ……! 私は翡翠の事、どう思ってるの?)






◇◇◇◇◇



「今日からよろしくお願いします!」

 

 コンビニの制服に身を包み、蘭は元気よく挨拶をした。


 今日から学校終わり週二、三回コンビニでのアルバイトを始めた。


 元々決まっていた事とはいえ、よく翡翠が許してくれたと思うが、当然送り迎えつきだ。これが許されるなら、と「学校も送り迎えだけで、授業中は一人でも!」と提案したが即却下。




「うんうん、元気がいいね」

「はい、ありがとうございます!」


 
 店長は「わからない事は、乙木さんと同じ高校生のバイトの子に色々と教わってね。覚えがよくて、僕より仕事ができるよ」と、おどけて言う。



「彼も、もうすぐ来るはず――――」

「すみませんっ、遅れました」

「お、来たね東雲(しののめ)君。この子は今日から働く新人の乙木さん、色々と教えてあげてね」



 少し息を切らせてスタッフルームに入ってきたのは、蘭のいとこの涼太(りょうた)だった。



(同じ高校生って、……涼太の事!?)



 涼太も蘭と目が合うと驚いた様子をみせたが、すぐに「はい。わかりました」と店長に返す。



「じゃあ、あとはまかせたよ東雲君」

「はい」



 じゃあねー、とスタッフルームを出た店長。



 部屋が静寂に包まれたが、蘭は「んんっ」と咳払いをし話し出す。



「涼太もここで働いてたんだね? びっくりしたよ」

「まぁな」

「…………」



 (き、きまずい!!)


 
「おい」

「なにっ?」



 お店の制服に着替えた涼太は「教えるから、来い」と手招きをする。



「うんっ、よろしく」




 祖母の桜子が生きていた頃は、蘭はよく涼太と遊んでいて仲良しだった。


 けれど中学に上がり、叔母の葵の家に住み始めてからは思春期もあってかお互い話す機会が減っていく。


 そして、涼太とは同じ高校だが蘭が祖母の家に一人で住み始めてからは、一度も話していなかった。



「いいか、品出しは――――」



 久しぶりに、こうやって普通に会話が出来ている事が嬉しい蘭は終始、浮かれ気味だ。



「……聞いてんのか?」

「っ聞いてるよ! ほら、ちゃんとメモも取って――」



 手に持っていたメモ帳に視線を落とせば、何も書かれていない真っ白なページ。



「真っ白だけど?」

「あははー……?」

「ちゃんと聞いとけ、馬鹿」

「あいたっ!」



 頭にチョップを食らった蘭。涼太は「次、聞いてなかったら昼飯奢りな。高校生の食欲舐めんなよ」言い、蘭は「ひぇ」と悲鳴をあげる。



「お、おにぎり一個とかじゃ駄目?」

「足りる訳ねー。てか、聞き逃す前提でいるなよ」

「ですよねー……」



 こうして、シフトが被る事も多く、少しずつ涼太と話すようになっていった。



 蘭は昔のように、普通に涼太と喋れて嬉しかったがそれは突然訪れた――――





◇◇◇◇◇


(最近、涼太がおかしい……)



「遅くなってごめん!」

「まだ時間じゃねぇし、気にすんな」



(優しいって言うか、親切すぎて不気味というか!!)



 最近、葵の家に住んでいた頃には想像できないほど、蘭の事を気にかけてくる涼太。
以前より話す事が多くなったと言え、まだ少し蘭は複雑だ。



(気にかけてくれるのは嬉しいんだけど……)
(でも涼太は私のこと――――)



『水分取ってんのか』

『お前、ちゃんと寝てんの?』

『母さんが、今度飯食いに帰ってこいって』



 バイト中も重たい荷物は率先して運び、やっかいそうな客の対応も即座にかわってくれる。



 蘭は不思議でたまらなかった。



 なぜなら、涼太には嫌われている……まではいかないが、苦手と思われているのでは? と感じていたから。



 一緒に住んでいた時は、舌打ちをされたり、無視などは良くあった。けれど「この空間で異質なのは自分なのだから」と、なるべく涼太の負担にならないよう努めていた蘭。

 
 だからこそ今の涼太は「本物なの?」と疑うレベルだ。



 バイト終わり、スタッフルームで帰りの準備をしている涼太に思い切って聞いてみる。



「ねぇ、ちょっといい?」

「ん、なに」

「えっと、涼太さ、その……」

「はっきり言えよ、はやく帰りたいんだけど?」

「私の事! ……嫌いというか、苦手……と思ってないの?」



「――――――――は?」



「その……無理して、優しくしたりしなくても良いのにって……」



 涼太は俯く。
 蘭には見えていないが、眉間に皺を寄せている。



「……んだよ、それ」


 
 ボソリと呟いた涼太。



「うん? よく聞こえな――」



 ぐいっと腕を引き、涼太は蘭に顔を近づけた。



 久しぶりに近くで見た従兄弟の顔は、昔の無邪気な子供ではなく、ちゃんと歳を重ねた青年へと変わっていた。



 切長の瞳、すっと通る鼻筋の先にはきゅっと固く閉じられた薄い唇。



(! 涼太って、こんなにカッコよかったっけ……)



「今週末、家行くから」

「――――はい?」

「はい? じゃねーよ。ばあちゃん家、ずいぶん行って無いし。お前、散らかしてないだろうな? ちゃんと掃除しとけよ」



 くるりと踵を返し、扉に手をかけた涼太は一言。



「……別に、苦手とか思ってねーよ」



 と言い残し、帰っていった。



(少なくとも、嫌われてはないって事……? それはすごく嬉しい……)

(けどちょっと待って!? 涼太、家に来るって言ったよね? ――――ど、どうしようっ!?)



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