月へとのばす指

「本当はどこか、横になれる所で休んだ方がいいんですけど……仕方ないですね。お時間までは絶対、涼しい場所から出ないようになさってください」

 その口調が、医者か看護師みたいだなと思った。知らず、唇から小さな笑いがこぼれる。

「次長、ちゃんと聞いてらっしゃいます?」

 一度こぼれた笑いは、すぐには止まらなかった。久樹に対して、身内以外で、こんなふうに強い口調で忠告する女性がいるなんて──新鮮で、意外で、けれど安心する事実。

「……いや、ごめん。なんか女医さんか看護師さんみたいだと思って」
「え」

 唯花が、意外なことを言われたというふうに目を見開く。

「そう……ですか?」
「あ──すまない、気を悪くしたかな」

 どこか覚束ない唯花の反応に、もしかして気に障っただろうかと心配になる。だがこちらの気がかりは察していないようで、彼女はどこか遠くを見るような目つきで、しばらく何も言わなかった。

 唐突に肩を揺らし、はっと、唯花は久樹を振り返る。

「申し訳ありません、そういうわけでは……ちょっと、勉強したことがあって、熱中症対策とか知ってただけなんです」
「勉強?」

 思わぬ言葉に首を傾げる。

「……学生の頃、看護師になりたかった時があったので」
「へえ」

 ちょっと驚いたが、そう意外には感じなかった。彼女は真面目そうだし、こんなふうに偶然行き会った久樹を介抱するような性格だし、看護師になっていたらきっと優秀な人員になるだろう。そう考えたところで、別の疑問が浮かぶ。

「どうしてならなかったの?」
「え」
「いや、看護師。今うちの会社にいるってことは、ならなかったんだろう。それとも免許だけは取ったとか?」

 何の気なしに尋ねたのだったが、唯花はなぜかバツ悪げな表情になり、目をそらした。そしてまた、先ほどのような、遠くを見る目つきになる。

「──ちょっと、事情がありまして」

 と言葉を切った、彼女の硬い表情は、これ以上は聞かないでほしいとこちらに伝えているように見えた。よくわからないが、あまり大っぴらにしたくない理由があるのだろう。
 そう考えるしかなかった。

「悪い、余計なこと聞いたね」

 久樹の謝罪に、唯花はふるふると首を横に振った。その仕草がなんだか、彼女が消え入ってしまいそうにはかなくて、理由はわからないながら焦りを覚えた。
 早く何か言わなくては、と思った。
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