白蛇神様は甘いご褒美をご所望です

「え、なっ!?」

 物理法則を無視した燃え方に、背筋が凍り付いた。
 ふいに祖父の言葉が過る。

『小晴、お前は摩訶不思議なものを引き寄せる希有な生まれだそうだ。だから、この家から出てはいけないし、この町に居れば安全だろう。この町には――様がいるのだから』

 昔、似たようなことが――あった気がする。
 その時、どうやって助かったのか覚えていないけれど、あれが普通の炎だと違う。部屋のドアを燃やすものの部屋に入るのには躊躇っているのか燃え広がっていた勢いが弱まったように見えた。

(何かを警戒している?)

 入り口付近に何かあったのか見渡すと、机の上に祖父の書いた和紙の束が目に入った。
 慌てて机の上にある紙束の一枚を炎に向かって投げた。普通の紙ならただ燃えて消えるだけだが、幾何学模様が書かれたそれは淡い光りを放って黒々とした炎が怯んだのだ。

(やっぱり、普通の炎じゃない)

 このまま牽制しつつ、窓を開けて逃げる。

○自宅の庭(夜)

(二階の傍には桜の木があるから、それをつたって降りれば……)

 紙束を何枚か炎に向かって投げつつ、窓を開けて勢いよく身を乗り出した――が、桜の枝を去年の春に伐採して短くなっていたことを失念していた。距離が足りず、浮遊感のあとで体は落下する。

 痛みに備えて両手で頭を抱えて目を瞑った。

「小晴」
「!?」

 固い地面にぶつかる前に私を優しく抱き留めたのは紫苑さんだった。長い髪を靡かせ、白い法衣に身を包んだ彼は口元を綻ばせる。

「ああ、小晴。間に合ったようだ……」

 私をぎゅうぎゅうに抱きしめて頬ずりする紫苑さんの美しさに、卒倒しそうだった。抱きしめられている温もり、白檀の香り、抱きしめられているという安心感に泣きそうになる。
 どうしてここに、とか。
 浮遊しているのか、とか。
 あれが何なのか、とか。
 そんな不安や疑問が吹き飛ぶほどの圧倒的な安心感。

 窓から怒り狂った青黒い炎が飛び出してくる。炎の燃える音が広がり、轟々と赤い炎も混じって――普通の炎もまた家を焼いているようだった。
 私の思い出のある家が奪われていくようで悲しくて、でも何もできないのが悔しくて、気付けば紫苑さんに抱きついて泣いていた

「アレをすぐに浄化してしまおう。だから泣き止んで」
「本当……ですか?」
「小晴の泣き顔も可愛い」
「…………」

 どこかズレた発言をする紫苑さんだったが、私の涙を優しく拭ってくれた。この緊張感ある空気が何というか台無しというか、危機が危機でない雰囲気を作りだしてくれる。
 絶体絶命から縁遠い空気。
 轟々襲いかかってくる炎に、紫苑さんの視線が鋭くなる。

「邪魔だな」

 そう言葉を発した瞬間、青黒い炎が一瞬で吹き飛び、家に広がっていた炎も突風によって吹き飛んだ。それと同時に屋根が宙を舞い、庭に転げ落ちる。
 何とも強引で圧倒的な力に、私は一つの結論を導き出す。

(これは夢だ。うん、きっと……そうに違いない)
「小晴、無事だな」
「はい」

 視界が翳り、ふと顔を上げると唇が触れ合う。
 とても甘くて身震いしてしまうほど心が震える。
 安堵で体の力が抜けて、紫苑さんの温もりに身を任せた。夢なのだから怖い夢よりも幸せな夢であってほしい。そう願うのは罰当たりではないはずだ。

○武家屋敷・客用寝室(朝)

 障子の隙間から漏れる陽射しで目が覚める。畳独特の匂いに、ふかふかなお布団が心地よい。
 寝返りを打とうとしたら身動きが取れないことに気付く。

(ん? 狭い?)

 身じろぎすると体を拘束していた何かが緩み、その隙に寝返りを打つことに成功する。満足した矢先、鼻先が何か壁にぶつかった。
 そこで私は重い瞼を開いた。

(ん……。こんなところに壁なんてあった――?)
「おはよう、小晴」
「!??」

 すぐ傍にいる偉丈夫のご尊顔を前に硬直した。
 長い白紫色の髪が銀色に煌めき、長い睫毛、少し寝ぼけた顔だけでも直視しづらいのに、シルクの白い浴衣(寝間着)が少しはだけて鎖骨が見えるという、色香全開の紫苑さんが隣にいたのだ。
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