新そよ風に乗って ⑤ 〜慈愛〜
「は、はい。大丈夫です」
「そうか。それならいい」
高橋さん?
てっきり、勝手に帰ってきてしまったことを咎められるのかと思っていたが、そうではなかった。
「休みなのに、朝早くから悪かった。それじゃ」
「あ、あの……」
「ん?」
携帯越しに聞こえる高橋さんの低い声は、いつも何とも言えない心地良さを感じるのだが、今朝は自分が焦っているせいか少し冷たく感じられた。
「昨日は、その……勝手に帰ってきてしまって、申しわけありませんでした」
「……」
あれ? 高橋さん。何も言ってくれない。
「私……」
「今、時間あるか?」
「い、今ですか? はい。あっ、いえ……あるというか、その……まだ起きたばかりで……」
「フッ……。インターホン鳴らすから、開けてくれ」
エッ……。
インターホン?
「あ、あの……」
ピンポーン。
その時、ちょうどインターホンが鳴った。
「開けて」
すると、電話越しに高橋さんの声が聞こえ、インターホンのモニターに高橋さんの姿が映った。
「えっ? あの、ちょ、ちょっと待って下さい。まだ、何も本当にしていなくて寝起きで……そ、そのちょっと着替えるので待ってもらえますか?」
「分かった。じゃあ、電話くれ」
「は、はい」
ど、どうしよう。
電話を切った途端、ベッドから飛び降りて慌てて洗面所に向かって顔を洗った。
ひゃー。寝起きの顔で、メイクもしてない。取り敢えず、リップだけ塗って髪をブラッシングした後、急いでパジャマから着替えようとチェストを開けて、適当に取り出したフーディーとデニムを履いた。
でも……。
何故、こんな時間に高橋さんが此処に居るの? 何のために?
疑問符だらけになりながらベッドメイキングをして部屋を見渡すと、昨日の社内旅行のバッグが玄関に置きっぱなしになっていたので、邪魔にならない部屋の端に追いやってから高橋さんに電話を掛けた。
「もしもし」
「す、すみません。お待たせしました」
「今、インターホン鳴らす」
「はい」
訳もなく、緊張してきた。高橋さんが、部屋に来るというだけで……。
オートロックを解除して間もなく、モニターの画面から高橋さんの姿が見えなくなると、ますます緊張してきて玄関の前でウロウロしていた。この長いような短いような、何とも言えない待つ時間が余計に緊張感を増す。
ピンポーン。
「はい」
高橋さんだと確信していたが、念のためドアスコープから覗いてみると、やはり高橋さんの姿が見えた。
自分の部屋の玄関のドアなのに、ドアノブを持つ手が震える。気持ちを落ち着かせるために、大きく深呼吸してからドアを開けた。
「おはよう」
「お、おはようございます」
そこには、昨日のスーツとは違うジャケットを着た高橋さんが立っていた。
「あ、あの……どうぞ……」
「いや、此処でいいから」
「でも……」
一瞬、沈黙して高橋さんはジッとこちらを見た。
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